松平光長(読み)まつだいらみつなが

改訂新版 世界大百科事典 「松平光長」の意味・わかりやすい解説

松平光長 (まつだいらみつなが)
生没年:1615-1707(元和1-宝永4)

江戸前期の大名。越後高田藩主。父は松平忠直,母は将軍徳川秀忠の女勝姫。1623年(元和9)幕府忠直を改易に処し,24年(寛永1)光長を高田に移封した。光長の格式は三家に次ぎ,地位は従三位中将で越後中将と呼ばれた。高田在封57年の間,執政小栗美作父子の殖産興業により全盛を誇ったが,79年(延宝7)より起こった越後騒動のため,81年(天和1)将軍綱吉の親裁をうけ改易,伊予松山へ流された。
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関連語 渡辺

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松平光長」の解説

松平光長 まつだいら-みつなが

1616*-1707 江戸時代前期の大名。
元和(げんな)元年11月29日生まれ。松平忠直(ただなお)の長男。母は徳川秀忠の娘勝姫。元和9年9歳で越前(えちぜん)(福井県)北庄(きたのしょう)藩主松平家の家督をつぐ。翌年越後(えちご)(新潟県)高田26万石に転封(てんぽう)。養嗣子をめぐって越後騒動がおこり,延宝9年領地を没収されて伊予(いよ)松山に配流となる。7年後の貞享(じょうきょう)4年赦免。宝永4年11月17日死去。93歳。通称は越後中将。

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367日誕生日大事典 「松平光長」の解説

松平光長 (まつだいらみつなが)

生年月日:1615年11月29日
江戸時代前期;中期の大名
1707年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の松平光長の言及

【越後騒動】より

…1679‐81年(延宝7‐天和1)に越後高田藩松平家に起きた継嗣問題にからむ御家騒動。1674年正月松平光長の嗣子下野守綱賢が死んで子がなく,筆頭家老小栗美作は光長の異母弟市正(いちのかみ)の子万徳丸(15歳)を推して光長の承諾を得,将軍徳川家綱に謁して三河守綱国とした。市正の弟永見大蔵や家老荻田主馬らはこれをもって,美作がわが子掃部(かもん)大六を光長の嗣子にしようとしたが見込みがないので,少年万徳丸を立てて権力をほしいままにし主家を横領しようとするものと喧伝し,殿様のため(お為方)に美作(逆意方)を除こうと騒いだ。…

【小栗美作】より

…越後高田藩松平光長の筆頭家老。名は正矩。…

※「松平光長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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