小槻奉親(読み)おづきのともちか

改訂新版 世界大百科事典 「小槻奉親」の意味・わかりやすい解説

小槻奉親 (おづきのともちか)
生没年:963-1024?(応和3-万寿1?)

平安中期の官人。左大史兼算博士小槻忠臣の次男。991年(正暦2)右少史より右大史に進み,さらに左大史に任ぜられて大夫史(五位史。(し)の最上首。のちに官務という)となり,また穀倉院別当を兼ねた。ついで淡路守となり,任国に赴いたが,1011年(寛弘8)淡路より帰京途次,発心してそのまま比叡山横川に登って出家した。時に49歳,正五位下左大史兼淡路守であった。その死去年月は確定できないが,1024年62歳で没したと推定される。奉親の後,小槻氏は歴代大夫史を世襲し,さらにそれを独占するに至ったので,同氏では奉親を初代の官務として尊んだ。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小槻奉親」の解説

小槻奉親 おづきの-ともちか

963-1025* 平安時代中期の官吏
応和3年生まれ。小槻忠臣の子。正暦(しょうりゃく)2年右少史より右大史,ついで左大史,大夫史となり,穀倉院別当を兼任。のち淡路守(あわじのかみ)となり赴任,寛弘(かんこう)8年任国からの帰途比叡(ひえい)山にのぼり出家した。万寿元年12月死去。62歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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