デジタル大辞泉 「史」の意味・読み・例文・類語
し【史】[漢字項目]
[学習漢字]5年
1 出来事の記録。また、その出来事。「史学・史劇・史実・史跡/外史・先史・戦史・前史・通史・
2 出来事を記録する者。「
[名のり]ちか・ちかし・ひと・ふの・み
[難読]




(又)(ゆう)。中は祝
を収める器である口(
(さい))を木に著けて捧げ、神に祝告して祭る意で、卜辞にみえる
とは内祭をいう。卜辞に「
」という語としてみえる。外に出て祭ることを「事(まつ)る」といい、その字はまた使の意にも用いる。事は
に吹き流しをつけた形で、
が内祭であるのに対して、外祭であることを示す。王使が祭の使者として行うことが王事であり、その王事に服することが祭政的支配の古い形態であった。
・
(使)・事はもと一系の字である。祝詞を扱うものを巫史(ふし)といい、その文章を史といい、文の実に過ぎることをまた史という。巫史の文には史に過ぎることが多かったのである。祭祀の記録が、その祭政的支配の記録でもあった。〔説文〕三下に「
は事を記す
なり。
(手)の、中を持するに從ふ。中は正なり」とあって、史官が事を記すのにその中正を守る意であるとするが、中正のような抽象的観念を手に執ることは不可能である。それで江永は中を簿書にして簿書を奉ずる形とし、また王国維や内藤湖南は中を矢の容器の形とし、郷射礼などにおける的中の数を記録するものが
であるとする。卜辞に
を内祭とし、また
・
・事の系列字の用義から考えると、
が祭祀を意味する字であったことは疑いがない。
ツカサ
〕に事をこの部に属し、〔説文〕に「
の省聲に從ふ」とするが、
の上に吹き流しのような偃
(えんゆう)を加えた形である。金文にみえる古い使役形は「~をして事(つかひ)せしむ」を「~
~事~」の形式にしるす。事が
、
が令の字にあたる。
声として
(吏)・
のほか鬯(ちよう)部の字を録し、事にも
の省声とする。事は
の演化した字、
には古く事を用い、使役の義には
を用いた。
・
shi
、事dzhi
はみな祭事、祭事に従うことを意味する字。事はのち士・仕dzhi
の義に近づいて、政治・行政を意味する語となった。
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史・巫史・墳史・良史・令史・歴史・穢史出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
日本古代の姓(かばね)および官職の名称。古く〈史〉は〈ふみひと,ふひと〉と読んで,文筆を業とする人を意味した。5世紀ないし6世紀の大和朝廷でそうした業務にたずさわる者はもっぱら渡来人であったが,彼らは氏族ごとにその職業を世襲したので,氏姓制度が発達すると,史は渡来系氏族に与えられる姓として用いられるようになる(〈史(ふひと)〉の項参照)。しかし〈ふみひと〉の原義はのちまで残り,701年大宝令施行直前に〈民官(のちの民部省)の戸籍を勘(かんが)える史(ふみひと)〉が置かれ,また静岡県伊場遺跡からは〈評(のちの郡)史(こおりのふみひと)〉と書かれた木簡が出土していて,史が官職名として用いられたことが知られる。律令制の官制では,神祇官の主典(四等官の第4等官)に大史1人(正八位下相当)・少史1人(従八位上相当),太政官の左右の弁官にそれぞれ大史2人(正六位上相当)・少史2人(正七位上相当)が属している。いずれも文書の作成などを職掌とする官職であるが,平安時代になると,弁官の大史に五位を帯する者が任ずるようになり,やがて大史の上席を官務(かんむ)と称し,小槻(おづき)氏(のちの壬生家)が世襲するにいたった。
執筆者:早川 庄八
古代日本の姓(かばね)の一つ。文書記録の仕事を朝廷で担当した文人(ふみひと)が転じて史と呼ばれ,それが姓となったもの。史の姓を賜った記事の《日本書紀》における初見は,欽明14年7月条の〈王辰爾(おうしんに)を以て船長とす。因りて姓を賜いて船史とす〉である。史の姓を帯びる氏族には,船史のほか,阿直岐(あちき)史,田辺史,白猪(しらい)史,津史などの諸氏族があり,いずれも渡来系の氏族であった。これらの氏族が文書記録の仕事に携わっていたことは,船史を賜姓された王辰爾が船に関する税の計算記録に当たったという伝承,白猪史を賜姓された王辰爾の甥胆津(いつ)が白猪屯倉の田部の賦課対象者の籍を検定したという伝承などによって知られる。なお史を氏名とする氏族がおり,摂津,河内,備中などの国に史戸氏が,また越前国には,史部氏が居住していたことが知られている。
執筆者:佐伯 有清
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
大和(やまと)朝廷の官職名で、のちに姓(かばね)となった。語源は「書人(ふみひと)」。史姓69氏のほとんどが帰化系氏族で、文筆や計算の技能をもって朝廷に仕えた。朝廷の機構の拡充された5世紀後半の雄略(ゆうりゃく)朝以降、外交や財政の分野で活躍し、6世紀なかばごろより官職名から姓(かばね)へ転化した。その後、大宝律令(たいほうりつりょう)の編纂(へんさん)にも田辺史(たなべのふひと)が参加して功績があった。757年(天平宝字1)に藤原不比等(ふひと)の諱(いみな)(実名)を避けて毗登(びと)に改められたが、770年(宝亀1)にもとに復した。
[前之園亮一]
『太田亮著『全訂日本上代社会組織の研究』(1955・邦光書房)』
古代のカバネ。史人(フミヒト)の略という。大和政権の文筆をつかさどる職業名がカバネとなったとみられる。史姓を称する氏族は約70氏あるが,すべて渡来系。代表的なものは王辰爾(おうしんに)の後裔の船史・白猪史(しらいのふひと)・津史などであるが,文直(ふみのあたい)・文首(ふみのおびと)など文筆にたずさわりながら史姓を称さなかった氏族もある。757年(天平宝字元)藤原不比等(ふひと)の諱を避けて毗登(ひと)としたが,770年(宝亀元)に史に復した。
(1)左右弁官の下で書記官を勤めた令制官。左右それぞれ大史2人(正六位上)・少史2人(正七位上)。行政の実務にたずさわったことから,平安中期以後,実務官として外記(げき)とともに重要性を増し,左大史が五位に任じられて大夫史と称し,小槻氏が世襲して官務(かんむ)と称するようになった。(2)神祇官の主典(さかん)の称。大史・少史各1人。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…また,かつてのソビエト連邦共産党中央委員会書記長,国際連合事務総長などの職名はsecretary‐generalと呼ばれる。日本の古代においては,文書の記録という意味では〈史〉がこれにあたり(〈史(し)〉〈史(ふひと)〉の項目参照),律令制下では四等官の一つ〈主典〉がおもに文書の記草・記録にあたった。中世・近世の武家社会では〈右筆〉が書記の役割をになった。…
…歴史を表すhistoryという語は,historia(探究)というギリシア語に由来している。歴史が単に人間世界で生起する諸事件の連続や総和なのではなく,その諸事件の意味連関を探究する人間の作業でもあるということを,その語の由来が示している。…
…日本古代の姓(かばね)および官職の名称。古く〈史〉は〈ふみひと,ふひと〉と読んで,文筆を業とする人を意味した。5世紀ないし6世紀の大和朝廷でそうした業務にたずさわる者はもっぱら渡来人であったが,彼らは氏族ごとにその職業を世襲したので,氏姓制度が発達すると,史は渡来系氏族に与えられる姓として用いられるようになる(〈史(ふひと)〉の項参照)。…
…日本古代の姓(かばね)および官職の名称。古く〈史〉は〈ふみひと,ふひと〉と読んで,文筆を業とする人を意味した。5世紀ないし6世紀の大和朝廷でそうした業務にたずさわる者はもっぱら渡来人であったが,彼らは氏族ごとにその職業を世襲したので,氏姓制度が発達すると,史は渡来系氏族に与えられる姓として用いられるようになる(〈史(ふひと)〉の項参照)。…
※「史」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...