現存する日本泳法の一流派。紀州三流派(紀伊徳川藩で泳がれていた3流派)の一つで、1619年(元和5)に紀伊(和歌山県)徳川藩の藩祖徳川頼宣(よりのぶ)が駿府(すんぷ)(静岡県)から和歌山へ移封したときに、船手奉行(ふなてぶぎょう)竹本丹後(たんご)の配下で水軍の士として従った小池久兵衛成行を流祖とする蛙足(かえるあし)系の泳法である。小池流は、1906年(明治39)に紀州三派が合併されて大日本武徳会和歌山支部水練部となったときに終わったが、三重県田丸で行われていた小池流外城田(ときた)派の加藤石雄が小池流家元を譲られ存続した。小池流の伝書には『水芸歌訓』がある。泳法は能島(のじま)流、岩倉流によく似た泳ぎで、平泳、抜手(ぬきて)、鰡跳(いなとび)、掻分(かきわけ)などがある。
[笹島恒輔]