日本歴史地名大系 「小瀬田村」の解説 小瀬田村こぜたむら 和歌山県:和歌山市河南地区小瀬田村[現在地名]和歌山市小瀬田名草(なくさ)郡に属し、亀(かめ)の川北岸、仁井辺(にいべ)村の南にあり、南は多田(おおた)村(現海南市)。古代は、治安三年(一〇二三)一一月二三日付太政官符案(国立史料館蔵名草郡古文書所収薬王寺文書)にみえる三上野(みかみの)院「勢田村」に含まれたと考えられる。「日本霊異記」中巻第三二話には「薬王寺、今謂勢多寺也」とあり、薬王(やくおう)寺は仁井辺の北の薬勝寺(やくしようじ)にあるので、当時の勢田(勢多)のおよその範囲がわかる。久安元年(一一四五)一一月一日付秦宿禰守利私領売渡状案(間藤家文書)には名草郡三上(みかみ)院のうちに「小勢田郷」がみえる。 小瀬田村こせだむら 鹿児島県:熊毛郡上屋久町小瀬田村[現在地名]上屋久町小瀬田楠川(くすがわ)村の南東にあり、南は船行(ふなゆき)村(現屋久町)、南西は山岳、東・北は海に面する。文禄検地では吉田(よしだ)村の小村であったが(三国名勝図会)、その後宮之浦(みやのうら)村の小村となった(薩藩政要録)。明暦三年(一六五七)頃の屋久島大絵図(県立図書館蔵)に村名がみえ、「三州御治世要覧」では延享(一七四四―四八)頃の高一一石余、旧高旧領取調帳では高二七石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by