勢田村(読み)せたむら

日本歴史地名大系 「勢田村」の解説

勢田村
せたむら

[現在地名]八街市勢田・希望きぼうおか

吉倉よしくら村・東吉田ひがしよしだ村の西に位置する。万治三年(一六六〇)の田方案内帳(勢田区有文書)瀬田村とあるなど、瀬田・世田とも書いた。中世白井しらい庄のうち。神崎こうざき神宮じんぐう寺蔵の貞治二年(一三六三)六月二九日に書写された大般若経奥書に「白井庄世田村栄楽寺」などとみえる。栄楽えいらく(現廃寺)は世田寺ともみえ、東坊や東寿院という子院を有し、「密教修学等侶」が集まる壇所であった。延文四年(一三五九)九月の胎蔵界灌頂私記奥書(徳星寺文書)にも寺名がみえ、同寺の祐元の本を良海が良運に書写させている。なお栄楽寺は勢田本郷の集落北側台地上にあったと伝承されている。


勢田村
せいたむら

[現在地名]頴田町勢田

現頴田町域の北端に位置し、西部で庄内しようない川に鹿毛馬かけのうま川が合流する。北は鞍手くらて御徳ごとく(現小竹町)・同郡中泉なかいずみ(現直方市)。至徳元年(一三八四)九月二七日の麻生義助知行目録写(麻生文書/南北朝遺文(九州編)五)によれば、「勢田村三十町」は義助の知行分二二町三反余のほか、麻生筑前守(資家)知行分の横尾名三町六反余、大和肥前守知行分の田淵名四町余に分割されている。永享六年(一四三四)に麻生家春(義助次男)足利義教から当地を安堵されて以後(同年六月二五日「将軍足利義教御判御教書」麻生文書/筑前麻生文書)、麻生氏に相伝されている(康正元年一一月一九日「将軍足利義政御判御教書」同上など)


勢田村
せいだむら

[現在地名]打田町北勢田きたせいだ南勢田みなみせいだ

重行しげゆき村の東から東南にかけて南北に細長い村で、北は山地、南に耕地が広がり、淡島街道が南部を東西に通る。東は北志野きたしの・南志野(現粉河町)赤尾あかおなどの諸村。中世は池田いけだ庄に含まれた地で、写ではあるが康永二年(一三四三)三月二九日付の池田庄公文下司等寄進状(庄司家文書)に「池田御庄勢田村山内字万蔵谷矣」とある。万蔵まんぞう谷は北勢田の北方山中の神通じんづう村に地名として残る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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