日本歴史地名大系 「小田井宿」の解説
小田井宿
おたいじゆく
文化二年(一八〇五)刊行の「木曾路名所図会」に「駅内弐町ばかり。多く農家にして、旅舎少し。宿悪し」とあるように、中山道の小宿で、
天正一〇年(一五八二)小田井城が依田信蕃の手に落ちて後廃城となると、天正一六年には付近の上小田井・
宿長八町四〇間、家数一〇七軒、人別三一九人、本陣一、脇本陣一、問屋上下各一、旅籠屋五軒が天保年代(一八三〇―四四)の宿況(「中山道宿村大概帳」近世交通史料集)で、宿の両端はともに大きく屈曲して枡形の様をなし、往還の南側寄りに用水溝を有する。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報