追分宿(読み)おいわけじゆく

日本歴史地名大系 「追分宿」の解説

追分宿
おいわけじゆく

[現在地名]軽井沢町追分

慶長年間(一五九六―一六一五)、中山道の宿駅が整備された以後、中山道と北国脇往還の追分け(分岐点)として繁栄した浅間三宿(軽井沢・沓掛くつかけ・追分)の一つで天保九年(一八三八)には貫目改所が置かれて、御影みかげ陣屋から定詰出役がいた。沓掛宿(現軽井沢町中軽井沢)へ一里三町、小田井おたい宿(現御代田みよた小田井)へ一里一〇町。

宿の東入口近く、浅間せんげん神社の前の歌い坂・泣き坂・笑い坂などとよばれる坂を下り、自然の枡形をなす沢を渡って宿に入る。宿長東西五町四二間、西は今も枡形茶屋の建物を残す枡形で終わり、その外に中山道と北国脇往還の分去わかされがある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報