20世紀日本人名事典 「小田嶽夫」の解説
小田 嶽夫
オダ タケオ
大正・昭和期の小説家,中国文学研究者
- 生年
- 明治33(1900)年7月5日
- 没年
- 昭和54(1979)年6月2日
- 出生地
- 新潟県高田市堅春日山町(現・上越市)
- 本名
- 小田 武夫(オダ タケオ)
- 学歴〔年〕
- 東京外国語学校支那語学科〔大正11年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 芥川賞(第3回)〔昭和11年〕「城外」,平林たい子文学賞(第3回)〔昭和50年〕「郁達夫伝」
- 経歴
- 大正11年大学卒業と同時に外務省に入り、13年から昭和3年まで、書記生として杭州領事館に赴任する。昭和3年帰国、5年外務省を退職し、以後文学に専念。「文芸都市」同人となり、6年田畑修一郎らと「雄鶏」(のちの「麒麟」)を創刊。11年「城外」で芥川賞を受賞。12年上海に、14年北支那に遊び、16年から17年にかけてビルマに従軍。16年「魯迅伝」「紫禁城の人」を刊行。戦後は「裏がわの町」「真実の行方」「義和団事件」「小説坪田譲治」などを発表し、50年「郁達夫伝」で平林たい子賞を受賞。他に自伝「文学青春群像」、訳書「魯迅選集・創作編」「大過渡期」(茅盾著)などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報