日本歴史地名大系 「小綱村」の解説 小綱村しようこむら 奈良県:橿原市八木・今井地区小綱村[現在地名]橿原市小綱町初瀬(はせ)街道の街村。矢継(やつぎ)街道(太子道)が交差する交通の要所。東は八木村。「日本書紀」天武天皇元年七月条の壬申の乱の記事に「将軍吹負、近江の為に敗られて、特一二の騎を率て走(に)ぐ。墨坂に逮(いた)りて、遇菟が軍の至るに逢ひぬ。更に還りて金綱井に屯(いは)みて」とある金綱井(かなづなのい)に比定される。「西国名所図会」には「当村は凡そ一村ともに籠細工の職を営み店を出してあきなひ、又は諸方に出て売を渡世す、故小綱笊籬の名高し」とあり、竹籠細工にちなむ入鹿(いるか)宮の伝承を記す。「飛鳥誌」によれば、天正末期の領主は多賀秀政。 小綱村こつなむら 長崎県:下県郡豊玉町小綱村[現在地名]豊玉町小綱大綱(おおつな)村の西方にあり、綱浦の北岸にあたる。「津島紀略」では古都奈と訓じる。集落の中ほどに「かなぐら」という聖地があり、山際に古風な祭祀遺跡があるが、磐座の典型的な形式を見せている。同所から銅矛が出土して綱島(つなしま)神社に祀られたという。文亀二年(一五〇二)正月日の宗職家寄進状(仁位郷判物写)に「小津奈田」とみえ、当地の田地が郡主から仁位の妙幢(にいのみようとう)寺に寄進された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報