小野川宇源次(読み)おのがわ・うげんじ

朝日日本歴史人物事典 「小野川宇源次」の解説

小野川宇源次

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:寛文5(1665)
江戸前期の若衆形,立役歌舞伎役者。替名は山田藤四郎。顔に疱瘡の跡があったが口跡がよく,若衆形でありながら実事的な演技当世風ともてはやされた。元禄8(1695)年,京都の早雲座の「今源氏六十帖」での長口上台詞は「若衆形の開山」として,のちの評判記にも記載されている。宝永5(1708)年から立役となったが,評判記ではその芸の硬さがしばしば指摘され,人気が衰えていった。評判記から消息を絶つのは享保13(1728)年だが,それまで若衆形のときの人気に触れることが多いのは,その本領が若衆形にあったからであろう。宇源次染めを流行らせたという。<参考文献>『歌舞伎評判記集成』1期

(北川博子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小野川宇源次」の解説

小野川宇源次 おのがわ-うげんじ

1665-? 江戸時代前期-中期の歌舞伎役者。
寛文5年生まれ。元禄(げんろく)4年大坂で初舞台。7年京都早雲座で若衆役を演じ好評をえた。宝永4年に立役(たちやく)となり,享保(きょうほう)8年敵役に転じた。京都出身。通称は山田藤四郎。前名は小川宇源次。

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