台詞(読み)セリフ

デジタル大辞泉 「台詞」の意味・読み・例文・類語

せりふ【台詞/科白】

俳優が劇中で話す言葉。「―をとちる」
人に対する言葉。言いぐさ。「気のきいた―を吐く」「そんな―は聞きたくもない」
きまり文句。「頼み事をするときのお得意の―だ」
理屈や言い分を並べること。談判すること。
「これ半七、お花はこちの奉公人、親仁との―なら、どこぞ外でしたがよい」〈浄・女腹切
支払いをすること。
「今夜中に―して下さんせにゃなりませぬ」〈伎・五大力
[類語]科白台詞独白モノローグダイアローグ

だい‐し【台詞】

せりふ」に同じ。

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精選版 日本国語大辞典 「台詞」の意味・読み・例文・類語

せりふ【台詞・科白・白】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 役者が劇中で言うことば。せるふ。せれふ。
    1. [初出の実例]「其時の脇は、進藤久右衛門左近のぜうは、同権右衛門にてせりふに、云分有しに」(出典:わらんべ草(1660)五)
  3. 常日頃からの言いぐさ。きまり文句。儀礼的な慣用句
    1. [初出の実例]「貧賤に素しては、此糟を用ひよとの世理賦(セリフ)を用ひず」(出典:浮世草子・風俗遊仙窟(1744)二)
  4. ( 一般的に ) ことば。会話。
    1. [初出の実例]「ぎりにつまった女房のせりふ、もっともとむねにこたへしよりふさが」(出典:浄瑠璃・心中重井筒(1707)上)
  5. ( ━する ) 苦情・文句を言うこと。言い分を述べること。交渉・談判すること。
    1. [初出の実例]「お花はこちの奉公人。おやじとのせりふならどこぞ外でしたがよい」(出典:浄瑠璃・長町女腹切(1712頃)中)
  6. ( ━する ) 特に、遊里で遊女が自分の要求や不満について客と詰め開きをすること。
    1. [初出の実例]「此卦の客は、〈略〉ぶらりしゃらりとよいかげんにつとめておいて吉。せりふをすれば大に身についたものをはなす事あるべし」(出典:洒落本・擲銭青楼占(1771)水山蹇)
  7. ( ━する ) 支払いをすること。商取引をすること。
    1. [初出の実例]「爰へござんしてから三十日余りの座敷代〈略〉何ぢゃあらうと今夜中にせりふして下さんせにゃなりませぬ」(出典:歌舞伎・五大力恋緘(1793)二)

台詞の補助注記

「会津塔寺八幡宮長帳‐慶長六年」には「其八月之日町にけい子屋へせりう付申候へ共、けい子之衆新たて之物二人打取申候」の例がある。

台詞の語誌

( 1 )能や狂言の用語から一般化したもの。「せれふ(台詞)」の挙例「八帖花伝書‐三」に、「次第、みちゆき、付ふし、せれふ、かかるふし〈略〉あひの謡、出は、きり、かくのごとくのうたひわけ」と記されているように、能の中での謡の構成要素として挙げられている。特に狂言においてはせりふが中心であったところから、近世になると、広く相手のことばや、談判、きまり文句などの意味で使用されるようになった。
( 2 )節用集類には、「世流布(セルフ)」〔延宝八年合類節用集・運歩色葉〕や「世理否」「世利布」〔万代節用集〕といった漢字表記も見える。明治になって、「言海」などの国語辞書が、漢字表記として「台詞」を採用したが、中国語にもある「台詞」「科白」を日本でも使うようになったのであろう。「セレフ」「セルフ」は「セリフ」よりも古い語形かとも考えられる。


せれふ【台詞・科白・白】

  1. 〘 名詞 〙せりふ(台詞)
    1. [初出の実例]「大夫のせれふ・脇のせれふ、違ふべし」(出典:八帖花伝書(1573‐92)三)

だい‐し【台詞】

  1. 〘 名詞 〙だいじ(台辞)

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改訂新版 世界大百科事典 「台詞」の意味・わかりやすい解説

台詞 (せりふ)

〈科白〉〈白〉などとも書かれる。よく行われるせりふの形式上の一分類としては,2人あるいはそれ以上の登場人物の間で交わされる〈対話(ダイアローグdialogue)〉。登場人物が自分自身の考えや感情などをみずからに問いかける形をとる〈独白(モノローグmonologue)〉(モノローグ劇),対話中に対話の当の相手には聞こえないという約束で横を向き独りごとのように言う〈傍白アサイドaside)〉などがある。
執筆者:

せりふは,戯曲表現の唯一の直接的な実質であり,筋や役の性格を含めて,劇的な行動のいっさいがそれを通じて表現される。それはすべての言語表現と同じく,内容に二つの側面を持っており,いわば指示内容と表現内容の両者を表すことができる。指示内容とは,話者の感情や漠然と思い浮かべたイメージ,外界に実在する対象など,言語がその外側にさし示す対象である。これについては,近似の意味を持つ複数の単語が同一の対象をさすこともでき,また一定の伝達の場面が用意されていれば,単に〈あれ〉というだけでも,さらには無言の表情やしぐさによっても示すことができる。これに対して,表現内容とは,言語がそれ自体の内側にさし示す内容であり,表現と内容が一対一で対応するものである。これは,単語の音声的な響き,文字の視覚的印象など,いわゆる語感と呼ばれるものをも含み,一語ずつ言葉が変われば違った内容が表されることになる。〈夕方〉〈日暮れ〉〈たそがれ〉は同一の指示内容を持つが,それぞれ違った表現内容を持つ言葉であって,日常会話では3者が混同されて使われても,せりふのような文学的表現においては明確に区別されねばならない。ちなみに,日常の通念では,二つの言語内容を精密に整理することなく,漠然と一つにして言葉の〈意味〉と呼びならわしている。

 とりわけ,せりふの場合,この二つの内容の区別は重要であり,戯曲の様式によって両者の比重の関係が異なってくる。いわゆる〈無言劇パントマイム)〉においては,身ぶり言語が純粋に指示内容のみを伝え,逆に〈黙読劇(レーゼドラマ)〉では,言語の表現内容が決定的な重要性を持つことになる。通常の戯曲はその中間にあるわけであるが,実際の上演に際しては,二つの言語内容は互いに矛盾しながら統一される。すなわち,俳優は一方で役の感情を語り,物語の事件を伝えるのであるが,これは言語に関しては指示内容に相当し,しばしば俳優の表情や息づかいやしぐさや,さらには場面の設定そのものなど,言語の付随的な要素によって伝えられる。むしろ,それらを言語の表現内容として伝えようとすれば,すなわち,〈私は悲しいから泣く〉とか,〈二人のあいだに芽ばえたのは愛である〉などとせりふが直接に表明すれば,その感情や事件の迫真性はかえって減殺されてしまう。ところが,他方,作者の書くせりふは,そうした感情や事件だけではなく,一語一語かけがえのない単語そのもののイメージを伝え,正確な語感,音楽的な響き,機智に富んだ修辞法など,言語の表現内容を豊かに伝えようとする。だが,これは,言語の指示内容によって置き換えられないばかりか,逆にそれを伝えようとする努力によって妨害されることが多い。俳優が過剰な感情に溺れて,そのあまり口ごもったり絶叫したりすれば,あるいは,事件の写実的な再現のために熱狂的な身ぶりを多用すれば,せりふの正確なリズムニュアンスは破壊されることになる。したがって,よい作者は,言語の指示内容を減殺せぬよう,せりふに過剰な説明や修飾をつけ加えるべきではなく,よい俳優は,せりふの表現内容を破壊せぬように,ひとりよがりの興奮や陶酔を避けるべきだ,ということになろう。

ところで,せりふの指示内容と表現内容とのこの関係は,当然,演劇的な行動,すなわち広義の演技行動の本質的な構造に対応している(〈戯曲〉の項参照)。演技行動とは現実行動の再現であり,現実の目的をかっこに入れた行動であって,その分だけ行動の過程を重視し,細部の手つづきを入念に行う行動である。一方,現実の言語活動においては,重視されるのは指示内容の伝達という目的であり,具体的な他人に向かって,感情や事件を一対一の関係で伝えることである。そこでは,事実について相手の理解を求めるという目的がすべてであり,そのために言語の表現内容は第二義的な手段とされる。これに対して,演技行動の会話はすべて虚構の人物のあいだで交わされ,したがって,指示内容の伝達という目的は実際に実現される必要はない。せりふが直接に語りかけ,一対一の関係で指示内容を伝えるのは役の人物と相手役のあいだであり,劇場における現実の人間,観客は単にそれを〈立ち聞き〉しているにすぎない。ちなみに,せりふには独白や傍白のように,役の人物から直接に観客に向けられるものもあるが,この場合も,語りかけられる真の相手は不特定の観客一般であって,個々の具体的な観客はそれを〈立ち聞き〉する立場におかれる。いずれにせよ,せりふは一直線的な伝達よりも,間接的な〈立ち聞き〉のために語られる言葉であり,1人の語り手と2人の聞き手からなる,いわば鼎話的な関係のなかで意味を持つ言葉だといえる。そして,一直線的な伝達が現実の対話の目的だとすれば,ここではまさにその目的がかっこのなかに入れられ,その分だけ,現実の対話では手段にすぎなかった表現内容が重視されることになる。表現内容が重視されるとは,言葉のみが語りうる要素が重視されるということであり,単に〈あれ〉といったり,無言の表情を示すことでは代用できない要素が増大することである。ということは,そうした無言の合図が通用し,それだけで伝達がなりたつ閉じられた対話関係が破壊され,〈立ち聞き〉する観客にとって開かれた伝達の場が成立する,ということにほかならない。逆にいえば,言葉数を増やし,言葉の響きのよさに留意し,表現内容を豊かにする努力が言葉を密室の私語から解放し,開かれた舞台の上のせりふに変えるのだ,といえる。

 その意味で,舞台上のせりふはすべて〈書き言葉〉であり,いかに写実的な戯曲においても,一対一の現実の〈話し言葉〉をはみ出す要素を持っている。それは,〈立ち聞き〉されたときに明快であり,そこで自然に聞こえる言葉でなければならず,当然,一対一の〈話し言葉〉としては不自然でなければならない。この点から,すべてのせりふは一定の様式性を含むことになり,写実的な文体のなかにも,秘められた詩的韻律をおびることになる。とりわけ,古典的な戯曲のように,役の人物の写実的な性格が希薄であり,せりふがより直接的に客席に向けて語られる場合には,この文体の様式性は強められねばならない。なぜなら,そこでは,せりふの鼎話的な表現関係は,2人の役の人物と観客のあいだには成立しにくく,より多く,役の人物と観客一般と個々の観客のあいだに形成される。いいかえれば,個々の観客は,不特定で抽象的な観客に語られるせりふを〈立ち聞き〉するのであり,したがって,せりふ自体,そういう抽象的存在のための言葉である,という刻印をおびなければならない。あたかも,神に向けられた祈りの言葉が,超人間性のしるしとして様式的韻律をおびるように,舞台のせりふも日常的な伝達関係を超え,より普遍的な存在との交信を示すために様式性をおびるのである。
戯曲
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「台詞」の意味・わかりやすい解説

台詞
せりふ

劇のなかで俳優によって語られる言葉で,演劇の本質的要素の一つ。2人以上の登場人物の間でかわされる対話 dialogue (→ダイアローグ ) ,自己の心境や感情を観客に向ってひとりで語りかける独白 monologue (→モノローグ ) ,他の登場人物の面前でしゃべりながら相手役に聞えないという舞台上の約束のもとで自分の考えその他を述べる傍白 aside (アサイド) などの形式がある。『ハムレット』のなかで用いられる長い独白は,ソリロキー soliloquyと呼ばれる。傍白も独白の一種であるが,短く,特に喜劇において短切的に使用される。

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世界大百科事典(旧版)内の台詞の言及

【戯曲】より

…戯曲を書くとは,何よりもこの意味での筋を作ることであり,物語の重さと勢いを正確に感じとる一方,それに拮抗しうる適切な場面の分割と配置を決めることだ,といえよう。 これは,いいかえれば,作者が物語の内側と外側に同時に立つことであるが,このいわば両義的な態度は,さらに登場人物を描くことにもせりふを書くことにも求められる。人物は,それぞれ独自の思想や感情を含む内面を抱く一方,外側から規定される役柄を負う存在であって,それ自体,重層的,あるいは両義的な構造を持つ存在だといえる。…

【脚本】より

…したがって劇上演前の準備台本といえるが,上演後の記録台本の場合もある。書き方としては,まず人物たちの行動する場所や時などを記し,その行動をせりふト書きに分けて書く方法が一般的である。近代以前には,せりふが中心で,ト書きの占める役割は少なかった。…

【つらね】より

…歌舞伎のせりふの一種。主として荒事などで主役が花道で述べる長ぜりふをいい,起源は猿楽,延年の連事(れんじ)から転化したものといわれている。…

【プロンプター】より

…舞台袖(そで)または装置の陰など,観衆から見えない場所にいて,俳優のせりふのきっかけのまちがいや言いちがい,またせりふがつかえたりしたとき,即座に正しいせりふを小声で教えられるように,絶えず上演台本をみながら俳優の演技に注目する役割。欧米近代の伝統的劇場には舞台前端中央にプロンプターのための場所があり,プロンプト・ボックスprompt‐boxという。…

※「台詞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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