小野義成(読み)おの・よしなり

朝日日本歴史人物事典 「小野義成」の解説

小野義成

没年承元2.閏4.3(1208.5.19)
生年:生年不詳
鎌倉前期,京都における源頼朝の代官として勢威をふるった一条能保,高能父子の郎等といわれる。正治1(1199)年2月,頼朝急逝後に同じく一条家の家人後藤基清,中原政経と共に京都政界の実力者源通親襲撃を企てて失敗。鎌倉に送られ配流された(三左衛門の乱)。この際,宰相中将西園寺公経,右中将持明院保家,左馬頭源隆保らが出仕を停止させられ,文覚が検非違使に預けられるなど一条家の縁者や頼朝関係者の処罰が相次いだ。しかし義成はまもなく許されたらしく,子の成時と共に後鳥羽上皇に仕え院御所の警固や謀反人討伐などに当たっている。京で没した。<参考文献>橋本義彦『源通親』

(美川圭)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小野義成」の解説

小野義成 おの-よしなり

?-1208 鎌倉時代武将
小野成綱の子。弓術にひいで,建久3年の的始(まとはじめ)では射手をつとめた。10年源通親(みちちか)の襲撃をくわだてたが捕らえられ,配流(はいる)された。のちに放免され,建永元年延暦寺堂衆の蜂起(ほうき)のときは,院御所を警備した。承元(しょうげん)2年閏(うるう)4月3日死去。通称は野三左衛門尉,小野大夫判官。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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