コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

熊谷直実 くまがいなおざね

8件 の用語解説(熊谷直実の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

熊谷直実
くまがいなおざね

[生]永治1(1141)
[没]承元2(1208).9.14. 京都
平安時代末期~鎌倉時代初期の武士。父は直貞。桓武平氏貞盛の子孫と伝えられる。武蔵国大里郡熊谷の住人。京都で平知盛に仕え,源頼朝挙兵の当初には,平氏軍の一員として相模国石橋山で頼朝を攻めた (→石橋山の戦い ) 。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

くまがい‐なおざね〔‐なほざね〕【熊谷直実】

[1141~1208]鎌倉初期の武将。武蔵国熊谷の人。はじめ平知盛に仕えたが、のち源頼朝に仕え、一ノ谷の戦い平敦盛を討った話は有名。建久3年(1192)所領争いに敗れ、自ら髪を切って法然の門に入り、蓮生(れんじょう)と名のった。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

熊谷直実【くまがいなおざね】

鎌倉初期の武士。直貞の次子。次郎直実と通称される。武蔵熊谷(むさしくまがや)郷の人。幼時父を失い久下(くげ)直光に養われた。源頼朝挙兵の時,初め平氏に属して頼朝を攻めたが,のち頼朝に従い戦功をたてた。
→関連項目光明寺誕生寺

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

熊谷直実 くまがい-なおざね

1141-1208 平安後期-鎌倉時代の武将。
永治(えいじ)元年生まれ。武蔵(むさし)大里郡(埼玉県)熊谷(くまがや)郷の人。平家方から源頼朝の配下に転じ,本領熊谷郷の地頭職をみとめられる。平氏追討に活躍し,一ノ谷の戦いで平敦盛(あつもり)を討つ。建久3年伯父久下(くげ)直光との領地あらそいに頼朝がくだした裁定を不服として出家,法然の門にはいった。承元(じょうげん)2年9月14日死去。68歳。通称は次郎。法名は蓮生(れんじょう)。
【格言など】浄土にもがう(剛)のものとや沙汰すらん西にむかひてうしろみせねば(「法然上人絵伝」)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

熊谷直実

没年:承元2.9.14(1208.10.25)
生年:永治1(1141)
平安末・鎌倉前期の武士。武蔵国大里郡熊谷郷(熊谷市)の領主,直貞の次男。通称次郎,法名蓮生。2歳で父を失い,叔父の久下直光に養育されたが,直光の代理で大番役に上洛したとき,傍輩の侮辱を受けて憤慨し,平知盛に仕えて都にとどまった。その間に直光が直実の所領を押領したため境相論が発生した。治承4(1180)年4月の石橋山の戦では,平家方として源頼朝を攻めたが,まもなく頼朝の配下となり,11月の佐竹秀義攻撃で抜群の戦功をあげ,本領の熊谷郷の地頭職に補任された。次いで,元暦1(1184)年の宇治川の戦や,一の谷の戦などでも武名をあげるが,特に一の谷の戦で16歳の平敦盛を討ったことは有名で,『平家物語』などは,これがのちに直実が出家する機縁になったという。文治3(1187)年,鶴岡八幡宮流鏑馬で的立役を拒否して,頼朝の不興を買い,所領の一部を没収された。さらに建久3(1192)年叔父直光との境相論の席上,頼朝が直光を支持する気配をみせたことに立腹して,逐電。京都に赴き,法然の門に入り,蓮生と号した。直実の出家の動機をこの所領相論にもとめる説が有力。その直情径行な性格にふさわしく,一心に上品上生の往生を立願して,死期を予言し,予言どおり,端座合掌して高声念仏しながら往生したという。

(田中文英)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

くまがいなおざね【熊谷直実】

1141‐1208(永治1‐承元2)
鎌倉幕府成立期の在地武士。直貞の次男。武蔵国熊谷郷を本拠地とした。1180年(治承4)の石橋山の戦では平家方であったが,のち源頼朝に従い,佐竹追討に際しての戦功で,一族の久下直光に押領されていた熊谷郷を安堵された。その後,平家追討の戦いでは源義経に従って活躍。87年(文治3)の鶴岡の流鏑馬(やぶさめ)に際して的立て役を命じられたが,同じ御家人で騎馬の射手がいるのに対し,徒歩(かち)の役につくのは恥辱だと拒否。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

くまがいなおざね【熊谷直実】

1141~1208) 鎌倉初期の武将。武蔵国熊谷の人。通称二郎。石橋山の合戦では平家方だったが、のち頼朝に仕え、一谷で平敦盛を討った。久下直光と所領を争い敗れて出家、法然の門に入った。法号蓮生。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

熊谷直実
くまがいなおざね
(1141―1208)

平安末期から鎌倉初期の武将。直貞(なおさだ)の次男。母は武蔵(むさし)国の豪族久下権守直光(くげごんのかみなおみつ)の妹。法名は蓮生(れんしょう)。当初は直光に仕える身であったが、直光の代官として京都大番を務めたおりに、武蔵国の国司平知盛(とももり)に仕えた。そのため直光は、直貞、直実に与えた武蔵国熊谷(くまがや)郷(埼玉県熊谷市)を押領(おうりょう)。以後、直実は直光からの自立を目ざしていく。1180年(治承4)石橋山の戦いには、大庭景親(おおばかげちか)に属して、源頼朝(よりとも)を攻めたが、東国の状況を察した直実は、頼朝に従い佐竹秀義(さたけひでよし)追討に功をたて、ついに頼朝より熊谷郷の安堵(あんど)を受ける。その後、平氏追討に活躍する。一ノ谷の戦いで平敦盛(あつもり)を討ち出家した話は有名であるが、じつは92年(建久3)直光との堺(さかい)(境)相論にあたり、頼朝の下そうとする判決が不当なものだとして怒り出家したものである。この直実の行動は、87年(文治3)鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)の流鏑馬(やぶさめ)に歩行(かち)役である的立役(まとたてやく)に任じられたことに対して、「御家人(ごけにん)はみな傍輩(ほうばい)なり」と主張し、断固拒否したというエピソードとともに、御家人身分に列することで自立化を図ろうとした東国の小武士の姿勢をよく示している。[鈴木哲雄]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の熊谷直実の言及

【敦盛】より

…《言継卿記》)。熊谷直実は一ノ谷合戦で心ならずも平敦盛を討つことになり,敦盛の父経盛に遺骸と遺品を届け書状を取りかわす。無常を感じた直実は法然上人を師として出家,蓮生坊と名乗って敦盛の菩提を弔い,高野山蓮華谷智識院で大往生を遂げる。…

【先懸(先駆)】より

…〈兵の本意は先登なり,先登に進むの時,敵は名謁(なのり)をもってその仁を知る〉との《吾妻鏡》に引用する下河辺行平の詞は武士一般の先懸への思惑を端的に示すものであろう。また同じく《吾妻鏡》には熊谷直実が佐竹征伐の功績によって熊谷郷の地頭職を安堵された下文(くだしぶみ)が見えるが,そこには〈直実,万人に勝れて前懸(さきがけ)し,一陣を懸け壊り,一人当千の高名を顕す〉との文言が付され,これが合戦における武士の勧賞(げんしよう)に値するものであったことを示している。しかし,後世集団戦が一般化すると個人本位の先懸は姿を消すに至る。…

【平敦盛】より

…敦盛は舟に乗り遅れ,ただ一騎で馬を泳がせ舟を追った。そのとき,源義経配下の熊谷直実(くまがいなおざね)に呼び止められ,浜辺へ引き返して直実と戦った。組討ちに敗れた敦盛の首を直実がかき切ろうとしたとき,直実の心に敦盛と同年輩の子小次郎のことが浮かび躊躇する。…

※「熊谷直実」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

熊谷直実の関連キーワード畠山重保横山党熊谷笠粟田口国頼埼玉県大里郡大里〈町〉埼玉県大里郡寄居町末野埼玉県大里郡寄居町藤田埼玉県大里郡寄居町寄居久下直光

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

熊谷直実の関連情報