寺伝によれば、天平七年(七三五)奈良東大寺開山であった僧良弁が、聖武天皇の勅願によって十一面観音を本尊として藤尾山観音寺という寺を創建したのに始まるという。その後、保延三年(一一三七)に火災にあいすべてを焼失したが、承元元年(一二〇七)附出水郷弐百町
云、土御門帝承元二戊辰年、解脱貞慶上人再興、二世慈心上人也、鎮守恭仁神」とあり、貞慶以前に一度藤原永手によって再興されたことを記す。貞慶は鎌倉新仏教に対して南都仏教の覚醒に努めた僧で、戒律を重んじた。
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京都府木津川(きづがわ)市加茂町例幣(かもちょうれいへい)にある寺。真言宗智山(ちさん)派に属する。山号は補陀落山(ふだらくさん)。聖武(しょうむ)天皇の勅願寺で、735年(天平7)良弁(ろうべん)の創建と伝えられ、1137年(保延3)焼失したのを貞慶(じょうけい)が再興したので、彼を中興の祖と仰ぐ。その高弟覚真(かくしん)の時代に寺領、諸伽藍(がらん)も整い、寺運は隆盛に達したが、いまもなお古木に囲まれた山中にあり、巨刹(きょさつ)のおもかげが残る。境内には1214年(建保2)に建立された五重塔(国宝)をはじめ、文殊(もんじゅ)堂(国重要文化財)、本堂、薬師(やくし)堂などがあり、また本尊十一面観音(国重要文化財)、毘沙門天(びしゃもんてん)など多くの寺宝を蔵している。
[眞柴弘宗]
『工藤圭章著『海住山寺』(1968・中央公論美術出版)』
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