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章宗 しょうそうZhāng zōng

世界大百科事典 第2版の解説

しょうそう【章宗 Zhāng zōng】

1168‐1208
中国,第6代皇帝。在位1189‐1208年。姓名は完顔璟(かんがんえい)。女真名は麻達葛。第5代皇帝の孫。少年時代から女真語,女真字とともに漢字,経書を学習。19年にわたるその治世は,泰和律令の施行などにみられるように,支配体制を整えようとしたが,黄河の氾濫,モンゴル系遊牧民の侵入,宋との交戦など内憂外患がつづき,財政難に苦しめられ,また,支配民族である女真人と被支配民族である漢人との反目が深刻となり,金朝の衰運をきたした。

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世界大百科事典内の章宗の言及

【金】より

…世宗は発祥の地である東北地方への配慮を怠らず,国粋主義にもとづく政治を行ったが,女真人漢化の大勢は防ぎえなかった。その孫章宗は全面的に中国文化に心酔したことで知られるが,黄河氾濫による被害やモンゴル系遊牧民に対する防備に国力が疲弊し,これに乗じて失地回復をねらう宋の挑戦に苦しめられた。章宗の末期はモンゴルにおけるチンギス・ハーン出現の時期にあたる。…

【遼金美術】より

…25年(天会3∥遼の保大5∥宋の宣和7)太宗はついにこれを滅ぼし,一転して宋を攻め,首都汴京を陥れて北宋を滅ぼし,27年(天会5∥宋の靖康2)宋の道君皇帝(徽宗),欽宗,皇后等の宗室より百工技芸等までを拉致し,また宮中の古書珍画等をことごとく奪って北帰した。これよりのち金は,1234年(天興3∥宋の端平1)モンゴルに滅ぼされるまで,中国北半を支配して南宋と対峙し,ことに世宗(在位1161‐89)・章宗(在位1190‐1208)の代にその文化は栄えた。 女真族はもともと半農半漁の森林民族であったが,遼を滅ぼしてよりのち,その五京を金の五京として中国式の都城を営み,1161年(正隆6)南京(河南省開封)を占領してよりはことに宋風建築の模倣が著しくなった。…

※「章宗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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