尾上新七(読み)おのえ・しんしち

朝日日本歴史人物事典 「尾上新七」の解説

尾上新七(初代)

没年:文化6.3.9(1809.4.23)
生年:延享2(1745)
江戸中期の歌舞伎役者俳名芙雀屋号南部屋。江戸生まれ。初代尾上菊五郎門弟。佐之助を名乗って,12歳で江戸中村座初舞台。16歳で春五郎,20歳で七三郎改名して上坂。明和3(1766)年,22歳のとき新七と改名した。以後京,大坂舞台を重ね,38歳で立役上上吉に進んだ。寛政8(1796)年に鯉三郎と改名。写実的で淡泊な芸風,小柄ながら上品な風姿で,和実という和らかみも物堅さもある役柄に優れ,おっとりとした「承知,承知」の殿様役では無類。「桂川連理柵」の長右衛門,「五大力恋緘」の源五兵衛,「拳褌廓大通」の今木伝七など,彼が初演して,その芸風を後世まで伝えるものも少なくない。新七の名跡は,昭和期までに5代を数えた。

(青木繁)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「尾上新七」の解説

尾上 新七(5代目)
オノエ シンシチ


職業
歌舞伎俳優

本名
牧野 五郎四郎(マキノ ゴロシロウ)

経歴
6代目菊五郎の名脇役で、主に世話ものの演技にすぐれていた。

没年月日
昭和55年 3月22日 (1980年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「尾上新七」の解説

尾上 新七
オノエ シンシチ

大正・昭和期の歌舞伎俳優



没年
昭和55(1980)年3月22日

本名
牧野 五郎四郎(マキノ ゴロシロウ)

経歴
6代目菊五郎の名脇役で、主に世話ものの演技にすぐれていた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「尾上新七」の解説

尾上新七(初代) おのえ-しんしち

1745-1809 江戸時代中期-後期の歌舞伎役者。
延享2年生まれ。宝暦5年江戸市村座で初舞台。初代尾上菊五郎に入門,10年尾上春五郎を名のる。明和元年尾上七三郎とあらため,3年京都で新七と改名。立役(たちやく)として京坂の舞台で活躍。文化6年3月4日死去。65歳。初名は尾上佐之助。後名は初代尾上鯉三郎。俳名は芙雀。屋号は南部屋,音羽屋

尾上新七(2代) おのえ-しんしち

1780-1818 江戸時代後期の歌舞伎役者。
安永9年生まれ。初代新七の門にはいり,大坂浜芝居で修業。寛政12年京都布袋屋(ほていや)座で2代を襲名。のち2代嵐吉三郎と一座をくんで人気を博す。立役(たちやく)で女方をかねた。文政元年6月18日死去。39歳。初名は初代尾上徳松。俳名は芙流,芙雀。屋号は井筒屋,のち南部屋。

尾上新七(4代) おのえ-しんしち

?-? 明治時代の歌舞伎役者。
はじめ2代中村鶴助にまなび,のち5代尾上菊五郎に入門。明治22年4代新七を襲名した。立役(たちやく)と敵役をかね,東京で活躍した。本名は中村芙雀。前名は中村歌玉,6代尾上芙雀。屋号は南部屋。

尾上新七(3代) おのえ-しんしち

市川男女蔵(いちかわ-おめぞう)(3代)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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