尾崎三良(読み)おざき さぶろう

  • 尾崎三良 おざき-さぶろう

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

1842-1918 幕末-明治時代の官僚,政治家。
天保(てんぽう)13年1月22日生まれ。三条実美(さねとみ)につかえ,慶応4年実美の子公恭(きみやす)にしたがいイギリスに留学する。太政官大書記官,元老院議官,法制局長官などをつとめ,23年貴族院議員。大正7年10月13日死去。77歳。京都出身。名は盛茂。幼名は捨三郎。変名に戸田雅楽。号は四寅居士。

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朝日日本歴史人物事典の解説

没年:大正7.10.13(1918)
生年:天保13.1.22(1842.3.3)
明治期の官僚,政治家。一時期実業界でも重きをなした。山城国葛野郡西院村(京都市西院)に尾崎盛之と桃華子の第4子として生まれる。文久2(1862)年三条家家臣戸田造酒の養孫となり,以後三条実美の側近として幕末の国事に奔走,特に三条ら七卿の都落ちに従って長州から太宰府まで同行したが,このときの人脈が尾崎の官界,政界での同志を形成する。慶応4(1868)年英国へ渡り法律を中心に勉学に励んだことは,のちの法制官僚としてのキャリアにつながった。明治6(1873)年帰国してからは,太政官左院,法制局,参事院などで法令実務に携わり,井上毅と並び称される。一時元老院議官に転じたが,再び政府に入って24年第1次松方内閣で法制局長官を務めた。その後は貴族院議員として活動,29年男爵を授けられたころから実業界で尽力するものの,中心となって画策した京釜鉄道建設事業が政府主導となる36年には自然引退のかたちとなった。公刊された日記からうかがえるのは,尾崎の活躍期が藩閥の全盛期と重なったためか,「平生鬱勃として平かならざるなり」(高岡種治『朝野人物評』)と評される不平家の姿である。<著作>『尾崎三良自叙略伝』『尾崎三良日記』<参考文献>国立国会図書館憲政資料室「尾崎三良文書」

(中野目徹)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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