20世紀日本人名事典 「尾崎迷堂」の解説 尾崎 迷堂オザキ メイドウ 大正・昭和期の俳人,僧侶 慶覚院(高麗寺)住職。 生年明治24(1891)年8月19日 没年昭和45(1970)年3月13日 出生地山口市 出身地神奈川県横須賀市(本籍) 本名尾崎 光三郎(オザキ コウザブロウ) 別名法名=暢光 経歴大正14年鎌倉の杉本寺住職、昭和17年逗子の神武寺住職を経て、戦後、大磯の高麗寺慶覚院住職をつとめる。俳句は明治44年頃から「国民俳壇」で活躍し、「渋柿」同人となる。昭和10年「あらの」に参加、戦後は「えがら」(のち「ぬなは」と改題)を編集した。句集に「孤輪」「雨滴」「芙渠」がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「尾崎迷堂」の解説 尾崎迷堂 おざき-めいどう 1891-1970 大正-昭和時代の俳人。明治24年8月19日生まれ。「国民新聞」の俳句欄でみとめられ,松根東洋城の「渋柿」に参加。大正2年天台宗の僧となり,鎌倉の杉本寺,大磯の慶覚院などの住職をつとめた。昭和45年3月13日死去。78歳。山口県出身。本名は光三郎。句集に「孤輪」など。【格言など】うつし身をさらしさらすや蜆(しじみ)掻く(遺句) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by