朝日日本歴史人物事典 「尾藤景綱」の解説
尾藤景綱
生年:生年不詳
鎌倉前期の武士で北条泰時の被官人。通称尾藤次郎。藤原秀郷の子孫の知景の子。左近将監。承久の乱(1221)に際して,泰時が18騎を従えて出立したうちのひとり。その後も泰時の腹心として活動し,また妻は泰時の次男時実の乳母となる。元仁1(1224)年泰時が執権に就任すると,景綱は初代の家令となり,北条氏の公文所を統括した。北条氏御内人の代表として平盛綱と共に,各種行事の奉行人として活動し,また騒擾事件の鎮静化に努める。寛喜2(1230)年には得宗家領武蔵国太田荘(埼玉県)開発の奉行人となる。<参考文献>佐藤進一『鎌倉幕府訴訟制度の研究』
(佐々木文昭)
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