山井殿跡(読み)やまのいどのあと

日本歴史地名大系 「山井殿跡」の解説

山井殿跡
やまのいどのあと

山井三位と号した藤原永頼の邸跡。「拾芥抄」には「三条坊門北・京極西、悪所云々、永頼三位家、信家卿・(道)頼卿」とある。この位置は現上白山かみはくさん町及び亀屋かめや町、たちばな町の一部にあたる。

「続日本後紀」承和一四年(八四七)七月二六日条に「参議正三位藤原朝臣綱継薨、(中略)致仕閑臥山井里第」とみえるが、この山井里第と山井殿が同じかは不明。

「栄花物語」巻三には、藤原道隆の子道頼について、「この大千代ぎみは、国々あまた知りたる人の、山の井といふ所に住むが、女多かるが壻になり給ひぬ」と記す。永頼は、美作尾張・伊勢・讃岐・大和・丹後・近江七ヵ国の受領歴任、寛弘七年(一〇一〇)没した(尊卑分脈)。道頼はその女壻となり、山井殿を伝領したらしく、のち山井大納言と称される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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