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山口正弘 やまぐち まさひろ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

山口正弘 やまぐち-まさひろ

1545-1600 織豊時代の武将。
天文(てんぶん)14年生まれ。豊臣秀吉につかえ,賤ケ岳(しずがたけ)の戦いに出陣。小早川秀秋の補佐役をへてふたたび秀吉につかえ,加賀大聖寺(だいしょうじ)6万石城主。関ケ原の戦いでは西軍に属し,籠城のすえ慶長5年8月4日戦死。56歳。前名は宗永,宗長。通称は甚兵衛,玄蕃頭(げんばのかみ)。

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朝日日本歴史人物事典の解説

山口正弘

没年:慶長5.8.4(1600.9.11)
生年:生年不詳
安土桃山時代の武将。尾張国鳴海の山口甚介光広の子。通称左馬助,従五位下・玄蕃頭に叙任された。名ははじめ宗永,宗長。豊臣秀吉に仕え,天正11(1583)年の賤ケ岳の戦で戦功をあげ,同17年ごろには丹波の山奉行を務めている。秀吉の命によって小早川秀秋の補佐役となり,慶長の役では朝鮮に渡海。そののち秀秋と不和になり,秀吉に仕え,加賀大聖寺城主として6万石を与えられた。関ケ原の戦では西軍に属し,大聖寺城に籠って東軍前田利長の軍勢と戦い,落城のとき自刃して果てた。

(小和田哲男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

やまぐちまさひろ【山口正弘】

?‐1600(慶長5)
安土桃山時代の武将。初め宗永,宗長とも名のった。甚兵衛,玄蕃頭を称する。豊臣秀吉に仕え,1583年(天正11)賤ヶ岳の戦に従軍。のち秀吉の養子秀秋(のちの小早川秀秋)の補佐となったが秀秋に嫌われたという。慶長の役では秀秋に従って朝鮮へ渡海。帰国後再び秀吉に仕え,加賀大聖寺城6万石を領した。関ヶ原の戦では西軍に属し,籠城して前田利長軍と戦ったが落城し自殺した。〈玄蕃縄〉の名を残しているように検地に能力を発揮した。

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