室町後期の連歌師。初め宗歓、長阿、柴屋軒(さいおくけん)とも号した。駿河(するが)国(静岡県)島田の鍛冶(かじ)職五条義助の子。早く今川義忠(よしただ)に近侍し、18歳で出家したのちも書記役のようなことを務めていて、合戦などにもたびたび従軍していた。義忠戦死のあと今川家を離れて上洛(じょうらく)、一休宗純に参禅、また宗祇(そうぎ)に師事して連歌を修行した。1478年(文明10)の越後(えちご)の旅や80年の『筑紫道記(つくしみちのき)』(宗祇の連歌紀行)の旅にも宗祇に同行し、やがて『水無瀬(みなせ)三吟』『湯山三吟』をはじめ、宗祇一座の多くの作品に加わって、宗祇門として頭角を現す。96年(明応5)駿河に帰国、改めて今川氏親(うじちか)に迎えられ、宇津山麓(うつさんろく)に柴屋軒を結庵(けつあん)し、駿河と京都の間を何度も往来し、享禄(きょうろく)5年3月6日、駿河で没。句集に『壁草』『那智籠(なちごもり)』『老耳(おいのみみ)』など、連歌論書に『連歌作例』『永文(ながふみ)』など、日記紀行に『宗祇終焉記(しゅうえんき)』『宗長手記』などがある。俳諧(はいかい)をも好んだことが『宗長手記』から知られる。
[島津忠夫]
『木藤才蔵著『連歌史論考 下』(1973・明治書院)』
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室町後期の連歌師。別号,柴屋軒。駿河島田の人。鍛冶職五条義助の子。今川義忠に仕えたが義忠の戦死後上洛。宗祇に師事して連歌を学び湯山三吟,水無瀬三吟などの席に列なる。また一休宗純に参禅。宗祇没後の連歌界の指導者となる。駿河宇津山の麓に柴屋軒を開き京師との間を往還。句集《壁草》《那智籠(なちごもり)》,日記《宗長手記》《宗長日記》があり,ほかに《東路の津登(あずまじのつと)》《宇津山記》《宗祇終焉記》がある。一説に《閑吟集》の編者ともいう。
執筆者:今泉 淑夫
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(沢井耐三)
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1448~1532.3.6
室町中期~戦国期の連歌師。初名宗歓,別号は柴屋軒(さいおくけん)。駿河国島田の刀鍛冶の子に生まれ,駿河国守護今川義忠に仕えたが,1476年(文明8)義忠が戦死したため上京,一休宗純に参禅,連歌を宗祇(そうぎ)に学ぶ。越後国や筑紫への旅に宗祇と同道し,「水無瀬(みなせ)三吟」「湯山(ゆやま)三吟」などの作品に参加。叙景句よりも理のある句・述懐の句を得意とした。1504年(永正元)駿河国宇津山麓に柴屋軒を結び,以後今川家の政治的活動のため旅をくり返した。自撰句集に「壁草」「那智籠(なちごもり)」「老耳(おいのみみ)」,連歌論書に「雨夜記(あまよのき)」「連歌比況集」,紀行・記録に「宗長手記」「宗祇終焉記」などがある。
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…文明年間(1469‐87)ごろ,成田親泰が山内・扇谷両上杉氏の争いに乗じてここに築城して以来,成田氏代々の居城となった。1509年(永正6)ごろここを訪れた連歌師の柴屋軒宗長(さいおくけんそうちよう)は,忍城のようすを〈水郷なり。館のめぐり四方沼水幾重ともなく,蘆の霜枯三十余町四方へかけて,水鳥,雁多く見えわたるさま云々〉(《東路の津登(あずまじのつと)》)と記している。…
…千葉氏一族の東氏から出た臨済の禅僧竜山徳見は,渡元して修学に努めた偈頌(げじゆ)の大家で,門下に義堂周信(ぎどうしゆうしん),絶海中津(ぜつかいちゆうしん)らの秀才を輩出している。1509年(永正6)連歌師宗長(そうちよう)は関東吟遊の途次下総に来り,小弓城主原胤隆の歓迎を受け,千葉妙見の祭礼や競馬,延年の猿楽(さるがく)などを見学しており,その紀行文《東路の津登(あずまじのつと)》からは戦国時代地方文化の一端をみることができる。
[産業・商業]
香取社領中,下総,常陸に点在する〈海夫(かいふ)〉は,霞ヶ浦,北浦,現利根川下流域で漁業に従事し,津という集落をなし,香取社に人身的に隷属していた集団を支配・管轄したもので,15世紀の海夫注文に,下総国35浦,常陸国83浦とみえる。…
…《吾妻鏡》に〈駿河国麻利子一色〉と見えるが,鎌倉期には手越宿のほうが有名であった。紀行文などに丸子がしばしば現れるのは戦国期になってからで,駿河国島田に生まれた連歌師宗長(そうちよう)は,今川氏親に迎えられて当地に柴屋軒(さいおくけん)を結庵した。また室町期に今川氏の手によって丸子城が築かれ,戦国期武田氏の侵攻により大幅に増築されたが,徳川氏の関東転封とともに廃城となった。…
…1巻。後鳥羽院の水無瀬の廟に奉納するために,宗祇とその高弟の肖柏,宗長を連衆(れんじゆ)として,1488年(長享2)正月22日の院の月忌に山城国山崎で張行された〈賦何人連歌(ふすなにひとれんが)〉の通称。宗祇の発句〈雪ながら山もとかすむ夕かな〉および宗長の挙句〈人をおしなべみちぞただしき〉は,それぞれ《新古今和歌集》所収の院の〈見わたせば山もと霞む水無瀬河夕は秋となに思ひけむ〉(巻一),〈おく山のおどろがしたもふみわけてみちある代ぞと人に知らせむ〉(巻十七)を本歌とする。…
…〈湯山〉のよみは〈ゆやま〉とも。1491年(延徳3)10月20日,宗祇とその高弟の肖柏,宗長を連衆として摂津国湯山(有馬温泉)で張行された〈賦何人連歌(ふすなにひとれんが)〉の通称。発句〈薄雪に木の葉色こき山路かな〉(肖柏),脇句〈岩もとすすき冬やなほみん〉(宗長),第三〈松むしにさそはれそめし宿出でて〉(宗祇)以下100句で,挙句は肖柏の〈一(ひと)むらさめに月ぞいさよふ〉。…
※「宗長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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