コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

宗長 そうちょう

9件 の用語解説(宗長の意味・用語解説を検索)

美術人名辞典の解説

宗長

連歌師。号は宗歓(観)・長阿・柴屋軒。宗祇に師事する。著書に『連歌作例』『宇津山の記』等がある。享禄5年(1532)歿、85才。

出典|(株)思文閣
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

そうちょう〔ソウチヤウ〕【宗長】

[1448~1532]室町後期の連歌師。駿河(するが)の人。号、長阿・柴屋軒(さいおくけん)。和歌・連歌を宗祇(そうぎ)に学んだ。著「雨夜記(あまよのき)」「宗祇終焉(しゅうえん)記」、連歌集「壁草」など。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

宗長【そうちょう】

室町後期の連歌師。号は柴屋軒。駿河島田の鍛冶職の家に生まれた。今川氏に仕え,のち一休に参禅,連歌を宗祇に学ぶ。宗祇没後の連歌界の指導者。晩年は駿河宇津山麓に柴屋軒を結び隠棲(いんせい),今川氏の政治に協力した。
→関連項目犬筑波集閑吟集宗鑑連歌

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

宗長 そうちょう

1448-1532 室町-戦国時代の連歌師。
文安5年生まれ。駿河(するが)(静岡県)島田の人。守護今川義忠につかえる。義忠死後,京都にでて一休宗純に参禅。宗祇(そうぎ)に連歌をまなぶ。宗祇,肖柏(しょうはく)との「水無瀬(みなせ)三吟百韻」「湯山三吟」は有名。享禄(きょうろく)5年3月6日死去。85歳。別号に宗歓,長阿,柴屋軒(さいおくけん)。著作に「壁草」「宗祇終焉(しゅうえん)記」「宗長手記」など。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

宗長

没年:天文1.3.6(1532.4.11)
生年:文安5(1448)
室町時代の連歌師。初名,宗歓,号,柴屋軒。駿河国(静岡県)島田の鍛冶,五条義助の子。若くから守護今川義忠に仕えたが,文明8(1476)年義忠戦没後離郷。京都に出て一休宗純に参禅,また飯尾宗祇に連歌を学んだ。宗祇の越後や筑紫への旅行に随伴し,『水無瀬三吟』『湯山三吟』をはじめ多くの連歌に加わった。明応5(1496)年49歳のころ駿河に帰り,今川氏親の庇護を受けるようになり,以後今川氏のために連歌や古典を指導,ときには講和の使者に立つなど政治的な面にも関与した。駿河帰住後も京駿間を中心に頻繁に旅を重ねたが,その見聞を記した『宗長手記』は,戦乱の世相,地方武士の動静,また自身の俳諧や小歌に興じる洒脱な生活などが活写されており興味深い。ほかに句集『壁草』『那智籠』,連歌論に『永文』『三河下り』などがある。<参考文献>木藤才蔵『連歌史論考』下

(沢井耐三)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

そうちょう【宗長】

1448‐1532(文安5‐天文1)
室町後期の連歌師。別号,柴屋軒。駿河島田の人。鍛冶職五条義助の子。今川義忠に仕えたが義忠の戦死後上洛。宗祇に師事して連歌を学び湯山三吟,水無瀬三吟などの席に列なる。また一休宗純に参禅。宗祇没後の連歌界の指導者となる。駿河宇津山の麓に柴屋軒を開き京師との間を往還。句集《壁草》《那智籠(なちごもり)》,日記《宗長手記》《宗長日記》があり,ほかに《東路の津登(あずまじのつと)》《宇津山記》《宗祇終焉記》がある。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

そうちょう【宗長】

1448~1532) 室町後期の連歌師。別号、宗歓・長阿・柴屋軒さいおくけん。駿河の人。宗祇そうぎの高弟。公武に親交多く、広く遍歴。著「水無瀬三吟百韻」「宗祇終焉記」など。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

宗長
そうちょう

[生]文安5(1448)
[没]享禄5(1532).3.6.
室町時代の連歌作者。幼名,長六。初め宗歓と称し,柴屋軒 (さいおくけん) と号した。駿河国島田の鍛冶職の子。若くして宗祇の門に入り,40年変りなく仕え,旅行にも多く同行した。宗祇,肖柏とともに賦した『水無瀬三吟百韻 (みなせさんぎんひゃくいん) 』は特に有名。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

宗長
そうちょう
(1448―1532)

室町後期の連歌師。初め宗歓、長阿、柴屋軒(さいおくけん)とも号した。駿河(するが)国(静岡県)島田の鍛冶(かじ)職五条義助の子。早く今川義忠(よしただ)に近侍し、18歳で出家したのちも書記役のようなことを務めていて、合戦などにもたびたび従軍していた。義忠戦死のあと今川家を離れて上洛(じょうらく)、一休宗純に参禅、また宗祇(そうぎ)に師事して連歌を修行した。1478年(文明10)の越後(えちご)の旅や80年の『筑紫道記(つくしみちのき)』(宗祇の連歌紀行)の旅にも宗祇に同行し、やがて『水無瀬(みなせ)三吟』『湯山三吟』をはじめ、宗祇一座の多くの作品に加わって、宗祇門として頭角を現す。96年(明応5)駿河に帰国、改めて今川氏親(うじちか)に迎えられ、宇津山麓(うつさんろく)に柴屋軒を結庵(けつあん)し、駿河と京都の間を何度も往来し、享禄(きょうろく)5年3月6日、駿河で没。句集に『壁草』『那智籠(なちごもり)』『老耳(おいのみみ)』など、連歌論書に『連歌作例』『永文(ながふみ)』など、日記紀行に『宗祇終焉記(しゅうえんき)』『宗長手記』などがある。俳諧(はいかい)をも好んだことが『宗長手記』から知られる。[島津忠夫]
『木藤才蔵著『連歌史論考 下』(1973・明治書院)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の宗長の言及

【忍】より

…文明年間(1469‐87)ごろ,成田親泰が山内・扇谷両上杉氏の争いに乗じてここに築城して以来,成田氏代々の居城となった。1509年(永正6)ごろここを訪れた連歌師の柴屋軒宗長(さいおくけんそうちよう)は,忍城のようすを〈水郷なり。館のめぐり四方沼水幾重ともなく,蘆の霜枯三十余町四方へかけて,水鳥,雁多く見えわたるさま云々〉(《東路の津登(あずまじのつと)》)と記している。…

【下総国】より

…千葉氏一族の東氏から出た臨済の禅僧竜山徳見は,渡元して修学に努めた偈頌(げじゆ)の大家で,門下に義堂周信(ぎどうしゆうしん),絶海中津(ぜつかいちゆうしん)らの秀才を輩出している。1509年(永正6)連歌師宗長(そうちよう)は関東吟遊の途次下総に来り,小弓城主原胤隆の歓迎を受け,千葉妙見の祭礼や競馬,延年の猿楽(さるがく)などを見学しており,その紀行文《東路の津登(あずまじのつと)》からは戦国時代地方文化の一端をみることができる。
[産業・商業]
 香取社領中,下総,常陸に点在する〈海夫(かいふ)〉は,霞ヶ浦,北浦,現利根川下流域で漁業に従事し,津という集落をなし,香取社に人身的に隷属していた集団を支配・管轄したもので,15世紀の海夫注文に,下総国35浦,常陸国83浦とみえる。…

【丸子】より

…《吾妻鏡》に〈駿河国麻利子一色〉と見えるが,鎌倉期には手越宿のほうが有名であった。紀行文などに丸子がしばしば現れるのは戦国期になってからで,駿河国島田に生まれた連歌師宗長(そうちよう)は,今川氏親に迎えられて当地に柴屋軒(さいおくけん)を結庵した。また室町期に今川氏の手によって丸子城が築かれ,戦国期武田氏の侵攻により大幅に増築されたが,徳川氏の関東転封とともに廃城となった。…

【水無瀬三吟百韻】より

…1巻。後鳥羽院の水無瀬の廟に奉納するために,宗祇とその高弟の肖柏宗長を連衆(れんじゆ)として,1488年(長享2)正月22日の院の月忌に山城国山崎で張行された〈賦何人連歌(ふすなにひとれんが)〉の通称。宗祇の発句〈雪ながら山もとかすむ夕かな〉および宗長の挙句〈人をおしなべみちぞただしき〉は,それぞれ《新古今和歌集》所収の院の〈見わたせば山もと霞む水無瀬河夕は秋となに思ひけむ〉(巻一),〈おく山のおどろがしたもふみわけてみちある代ぞと人に知らせむ〉(巻十七)を本歌とする。…

【湯山三吟百韻】より

…〈湯山〉のよみは〈ゆやま〉とも。1491年(延徳3)10月20日,宗祇とその高弟の肖柏宗長を連衆として摂津国湯山(有馬温泉)で張行された〈賦何人連歌(ふすなにひとれんが)〉の通称。発句〈薄雪に木の葉色こき山路かな〉(肖柏),脇句〈岩もとすすき冬やなほみん〉(宗長),第三〈松むしにさそはれそめし宿出でて〉(宗祇)以下100句で,挙句は肖柏の〈一(ひと)むらさめに月ぞいさよふ〉。…

※「宗長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

宗長の関連キーワード紹九文閑恵俊行助三甫信永忍誓持政祐倫柴屋軒宗長

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone

宗長の関連情報