日本大百科全書(ニッポニカ) 「山口益」の意味・わかりやすい解説
山口益
やまぐちすすむ
(1895―1976)
真宗大谷派本願寺末の願生寺(がんしょうじ)(京都市)住職。仏教学者。法名は円実。大谷大学卒業。大谷大学教授を経て同学長を務める。文学博士。日本学士院会員。1927~1929年の間フランス留学、シルバン・レビに師事し、フランス仏教文献学を日本に移入し、20世紀中葉の日本のインド仏教学を先導した。『中辺分別論安慧釈疏(ちゅうへんふんべつろんあんねしゃくしょ)』(三部作、1937完)、『仏教に於(お)ける無と有との対論』(1941)、『中観(ちゅうがん)仏教論攷(ろんこう)』(1944)、『月称造中論釈(げっしょうぞうちゅうろんしゃく)』(Ⅰ・Ⅱ、1949)、『世親(せしん)の成業論(じょうごうろん)』(1951)、『世親唯識(ゆいしき)の原典解明』(野沢静證(のざわじょうしょう)(1908―1977)と共著、1953)、『般若(はんにゃ)思想史』(1951)など多数の著書のほかに、『山口益仏教学文集』(2巻、1973)もある。『大谷学報』57巻1号(1977)、『山口博士還暦記念印度学仏教学論叢』(1955・法蔵館)などに経歴・業績の紹介がある。
[梶山雄一 2017年10月19日]