山口益(読み)ヤマグチ ススム

20世紀日本人名事典 「山口益」の解説

山口 益
ヤマグチ ススム

大正・昭和期の仏教学者,僧侶 元・大谷大学学長;願照寺(真宗大谷派)住職



生年
明治28(1895)年1月27日

没年
昭和51(1976)年10月21日

出生地
京都府京都市中京区

学歴〔年〕
大谷大学専修科〔大正7年〕卒,大谷大学研究科印度哲学〔大正11年〕修了

学位〔年〕
文学博士〔昭和18年〕

主な受賞名〔年〕
紫綬褒章〔昭和37年〕,文化功労者〔昭和39年〕

経歴
大正8年京都帝大文学部委託生として入学。昭和2〜4年フランス留学、サンスクリットチベット語などを修めた。大正13年大谷大学助教授、昭和9年教授、25〜33年学長、京都大学文学部講師兼任。39年大谷大学名誉教授、39〜51年京都産業大学教授。この間47年真宗大谷派真宗数学研究所長。学術会議員2回、40年学士院会員。北京版西蔵大蔵経(全150巻)刊行の中心として活躍。著書に「弁中辺論」(編)、「中辺分別論釈疏」「仏教における無と有との対論」「中観仏教論攷」「月称造中論釈I II」「空の世界」「般若思想史」「動仏と静仏」「フランス仏教学の五十年」「アポロン仏」「大乗としての浄土」「仏教思想入門」など多数。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「山口益」の意味・わかりやすい解説

山口益
やまぐちすすむ
(1895―1976)

真宗大谷派本願寺末の願生寺(がんしょうじ)(京都市)住職。仏教学者。法名円実。大谷大学卒業。大谷大学教授を経て同学長を務める。文学博士。日本学士院会員。1927~1929年の間フランス留学、シルバン・レビに師事し、フランス仏教文献学を日本に移入し、20世紀中葉の日本のインド仏教学を先導した。『中辺分別論安慧釈疏(ちゅうへんふんべつろんあんねしゃくしょ)』(三部作、1937完)、『仏教に於(お)ける無と有との対論』(1941)、『中観(ちゅうがん)仏教論攷(ろんこう)』(1944)、『月称造中論釈(げっしょうぞうちゅうろんしゃく)』(Ⅰ・Ⅱ、1949)、『世親(せしん)の成業論(じょうごうろん)』(1951)、『世親唯識(ゆいしき)の原典解明』(野沢静證(のざわじょうしょう)(1908―1977)と共著、1953)、『般若(はんにゃ)思想史』(1951)など多数の著書のほかに、『山口益仏教学文集』(2巻、1973)もある。『大谷学報』57巻1号(1977)、『山口博士還暦記念印度学仏教学論叢』(1955・法蔵館)などに経歴・業績の紹介がある。

梶山雄一 2017年10月19日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山口益」の解説

山口益 やまぐち-すすむ

1895-1976 大正-昭和時代の仏教学者。
明治28年1月27日生まれ。フランスに留学し,サンスクリット,パーリ語,チベット語をまなぶ。帰国後大谷大教授,のち学長。チベット文献を柱に大乗経典を研究した。昭和39年文化功労者。昭和51年10月21日死去。81歳。京都出身。真宗大谷大卒。法名は円実。著作に「中観仏教論攷」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「山口益」の解説

山口 益 (やまぐち すすむ)

生年月日:1895年1月27日
大正時代;昭和時代の仏教学者;真宗大谷派僧侶。大谷大学学長
1976年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android