山国杣(読み)やまぐにのそま

改訂新版 世界大百科事典 「山国杣」の意味・わかりやすい解説

山国杣 (やまぐにのそま)

現在の京都府下の大堰(おおい)川上流に位置し,京都市の旧京北町山国・黒田地区から京都市左京区花背・広河原地区を含む広大な山林を指す。1587年(天正15)のこの地方の太閤検地直前に,前田玄以に提出した郷士名主家の由緒書《山国庄三十六名八十八家田畑配分幷官位次第》によると,平安遷都にさいして〈御杣御料〉とされたことを山国荘起源としている。律令国家は山国杣に省衛府諸寮官人16人を配置し,のち禁裏重代の仕官20人が増員され,この36人が52人の子家を分出し,計88人が〈五三寸三尋荒木(ごさんずんみひろあらぎ)〉と称される材木を国家に貢納したという。平安末期に山国杣が荘園化した山国荘は,10世紀末に元東大寺僧朝南の建立した某寺の所領となったこともあるが,その後は国家の建造物の営繕事業を担当する修理職(すりしき)の所領となり,天皇家の家産機構のうちで重要な位置を占めるに至る。山国荘の荘園年貢の貢納責任を負う88家の名主(みようしゆ)は,大布施杣方(おぶせのそまかた)(大杣方)と棚見方とに編成され,この二方を単位として材木年貢などを貢納していた。二方の名主組織から津領(番頭),下司,公文(くもん)などの代官が補任され,代官家は中世を通じて固定されている。大杣方,棚見方は朝廷に対する年貢請負組織であるとともに,荘園の鎮守社,山国五社明神の宮座組織でもあった。名主は山国荘の基本的構成員であり宮座成員であった。禁裏御領山国荘は,南北朝時代,北朝初代の光厳天皇の隠栖の地であり,井戸村常照寺は隠栖の庵であった。山国荘は戦国時代,禁裏にとって数少ない財政的拠点として存続した。山国荘の名主は治安の悪化した禁裏の警固の衛士として在京している。名主仲間は広大な入会山野を所有し,材木を大堰川によって京都に流下させた。また鮎漁業権を独占し,鮎を禁裏の台所へ貢納した。名主仲間の組織は変転しながらも,明治維新直後まで存続した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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