日本歴史地名大系 「山城屋浜」の解説 山城屋浜やましろやはま 徳島県:徳島市旧名東郡地区山城屋浜[現在地名]徳島市山城西(やましろにし)一―三丁目・山城町南斎田(みなみさいた)浦の南西にある。北に御座船(ござぶね)川、南に冷田(つめた)川が東流し、東を園瀬(そのせ)川が北東流して津田(つだ)口に吐出すところ、西方の南浜(みなみはま)浦・北浜浦の地先にできた砂洲を造成した塩田。元和六年(一六二〇)に蜂須賀家政の命により家臣北野太郎左衛門が南斎田浦に開いた徳斎(とくさい)浜の拡張が図られ、享保二〇年(一七三五)に城下佐古(さこ)町の山城屋永田勘右衛門によって開かれた。開拓者の名を冠して山城屋浜と称した(八万村史)。村々大小塩浜広狭塩屋之口数之事(塩方御代官一巻)によると、南斎田村のうち山城屋浜の塩浜坪数は二千六八三枚、竈屋一四軒、元括塩二万八千九一九俵とあり、当浜の塩問屋として卯助の名がみえる。塩浜は困窮により一度人手に移ったが、寛政八年(一七九六)に再び勘右衛門の子孫の平右衛門に徳島藩から下渡され、南斎田浦の枝郷となり平右衛門は名主となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by