20世紀日本人名事典 「山岡米華」の解説
山岡 米華
ヤマオカ ベイカ
- 生年
- 明治1年11月28日(1869年)
- 没年
- 大正3(1914)年5月19日
- 出生地
- 土佐国土佐郡一宮(高知県)
- 本名
- 山岡 尚樹
- 別名
- 字=子敬,別号=小董草堂
- 経歴
- 幼時、名草逸峰に南画を学ぶ。父に画家になることを反対されたため、19歳で上京し法制経済を学ぶ。裁判所の書記をつとめながら、大審院判事をしていた川村雨谷に師事し南画を学ぶ。その後宮内省、郵船会社などに勤め、佐竹永邨らに指導を受ける一方、中国に渡り明清諸家を研究。また渡辺崋山や中山高陽らに私淑し、長三洲に書を学んだ。日本画会、日本南画会、日本美術協会などに出品したが、明治39年松林桂月らとともに日本南画会を脱退し、日本南宗画会を結成。40年東京勧業博で「秋山閑居」が1等賞を受賞、同年文展の開設に際し結成された正派同志会に参加、幹事となる。41年第2回文展より審査員を務めた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報