山崎保代(読み)ヤマザキ ヤスヨ

20世紀日本人名事典 「山崎保代」の解説

山崎 保代
ヤマザキ ヤスヨ

大正・昭和期の陸軍中将



生年
明治24(1891)年10月17日

没年
昭和18(1943)年5月29日

出生地
山梨県禾生村

学歴〔年〕
陸士〔大正2年〕卒

経歴
歩兵第15連隊付、歩兵第50連隊補充隊長、第36師団兵器部長などを経て、昭和15年大佐に昇進、歩兵第130連隊長。太平洋戦争の際は18年4月北海守備第2地区隊長としてアッツ島赴任。すでに戦況は険しく、翌5月12日には2638人の守備隊に対し、約1万1000人の米軍が同島に上陸、次第に島の東北部に追いつめられるが、大本営は同月20日、同島の放棄を決定。29日残っていた150人の将兵を率いて最後の突撃敢行、負傷して捕虜となった29人を除く全員が戦死または自決した。大本営は翌30日、“玉砕”という言葉でこれを発表した。没後2階級特進で中将となる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山崎保代」の解説

山崎保代 やまざき-やすよ

1891-1943 大正-昭和時代前期の軍人
明治24年10月17日生まれ。太平洋戦争でアッツ島守備隊長となる。アメリカ軍との17日間の戦いののち,残存兵力をあげて突撃し,昭和18年5月29日戦死。53歳。日本軍初の「玉砕」となった。没後中将。山梨県出身。陸軍士官学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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