山崎夫八郎(読み)やまざき・ぶはちろう

朝日日本歴史人物事典 「山崎夫八郎」の解説

山崎夫八郎

没年弘化2.10.17(1845.11.16)
生年天明6(1786)
江戸後期,緑肥苜蓿(ウマゴヤシ)栽培案出の功労者。出雲国神門郡里方村(出雲市)の農家に生まれる。天保8(1837)年52歳のとき,田植えあとの豊作祈願のため村人一行と弥山に登る途中,路傍の異様な雑草に目をつけ,緑肥にすることを考えて種子を採集し持ち帰った。初年度少量の緑肥を得,苗代に施肥を試みて著しい効果を知り,その栽培方法の研究に取り組んだ。7,8年の苦心ののち「湿田畦上移植法」を案出して栽培に成功。稲作における施肥効果も明らかとなり,出雲を中心に各地に普及した。この緑肥が苜蓿であると鑑定されたのは明治29(1896)年のことである。<参考文献>島根県内務部編『島根県旧藩美蹟』

(松尾寿)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山崎夫八郎」の解説

山崎夫八郎 やまざき-ぶはちろう

1786-1845 江戸時代後期の農業改良家。
天明6年生まれ。出雲(いずも)高浜村(島根県出雲市)の農民。ウマゴヤシが緑肥として有効であることに気づき,研究をかさねて栽培法を確立。ウマゴヤシは簸川(ひかわ)平野で稲作の肥料として効果をあげ,明治にはいって全国に普及した。弘化(こうか)2年10月17日死去。60歳。

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