日本歴史地名大系 「高浜村」の解説
高浜村
たかはまむら
高浜村
たかはまむら
- 愛知県:高浜市
- 高浜村
西三河平野の西南隅に位置し、三河湾に臨む海浜の村。北は
高浜村
たかはまむら
北は高浜湾に面し、南は
古代の
高浜村
たかはまむら
文禄三年(一五九四)九月、検地が行われたが、同月付芥河郡高浜村御検地帳写(西田家文書)によると石高四〇五石余で、うち主無しが九町五反余の七六石余を占めている。また荒地が多く永荒一二石余・荒六七石余・毛荒一石余・付荒二石余・当荒二斗余となっている。
高浜村
たかはまむら
北は
貞永二年(一二三三)二月一六日付の天草種有譲状案(志岐文書)に「しんひらきたかハま」とみえ、鎌倉時代の新開地であったことが知られる。慶長国絵図に村名がみえ、正保郷帳に高九六四石九斗余とある。万治二年(一六五九)石高半減により五六〇石二斗余となった(天草風土考)。「国志草稿」に竈数一〇五・男女数九五八とあり、文政(一八一八―三〇)頃には高六三一石余(うち新田畑六五石一斗余)、家数六三一・人数三千六二九に膨張した。氏神は八幡宮(島鏡)。大江組に属した。
高浜村
たかはまむら
- 茨城県:石岡市
- 高浜村
弘安大田文には南郡として「高浜田四丁二段」とある。江戸初期に府中藩領となり、のち旗本領となる。幕末は彦坂・土屋・松平・小野各氏が支配したが(各村旧高簿)、明治初年に志筑藩領となる(千代田村史)。
高浜村
たかはまむら
戦国期の伊東氏の神社領支配の内容を示す弘治二年(一五五六)六月吉日の土田帳写(予章館文書)によれば、「たかはま」の
高浜村
たかはまむら
- 岩手県:宮古市
- 高浜村
宮古湾の奥、
高浜村
たかはまむら
高浜村
たかはまむら
高浜村
たかはまむら
高浜村
たかはまむら
高浜村
たかはまむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報