日本歴史地名大系 「山市場村」の解説 山市場村やまいちばむら 鳥取県:米子市山市場村[現在地名]米子市福市(ふくいち)四日市(よつかいち)村の南、法勝寺(ほつしようじ)川東岸の南へ延びる丘陵地にあり、東部を日野川が北西流する。初め四日市村と一村であったが、元和年中(一六一五―二四)の検地の際安養(あんによう)寺領として四日市村と区分されて山市場村となったという(伯耆志)。安養寺領一〇〇石は当村北部を占め、ほかは鳥取藩領。拝領高は二三〇石余。本免は四ツ三分。米子組士加藤氏・金万氏の給地があった(給人所付帳)。幕末の六郡郷村生高竈付では生高二六〇石余、竈数三〇。「伯耆志」では高二六三石余、家数三三・人数一二九、安養寺領の家数四〇・人数二〇〇。 山市場村やまいちばむら 神奈川県:足柄上郡山北町山市場村[現在地名]山北町山市場河内(かわうち)川の中流域にあり、村央を抜ける奥山家(おくやまが)道沿いに北は神縄(かみなわ)村、南は川西(かわにし)村と接する。西山家(にしやまが)九ヵ村の一つ。正保国絵図に「川村ノ内山市場」とあり、古くは川村(かわむら)郷に属した。近世は小田原藩領。正徳三年(一七一三)の家数二四(「河村御関所掛村々諸色元帳」県史九)、天保初期の家数二二(風土記稿)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by