朝日日本歴史人物事典 「山座円次郎」の解説
山座円次郎
生年:慶応2.10.26(1866.12.2)
明治大正期の外交官。黒田藩(福岡県)足軽山座省吾,ひさの次男。明治25(1892)年帝大法科大卒業,朝鮮釜山領事館勤務。26年書記生となり,以後上海,仁川在勤などを経て28年在英公使館書記官。32年帰国,ソウル勤務を命じられる。34年小村寿太郎外相のもとで政務局長に抜擢され日英同盟(1902)から日露交渉,対露開戦外交にかかわった。各省の若手官僚と湖月会を作り,在野の対露強硬論グループとも交わり元老層の慎重論を強く攻撃した。ポーツマス講和会議(1905)には小村全権に随行,帰国後日本独自の満州(中国東北部)開発論を展開した。41年在英公使館参事官に転出,大正2(1913)年辛亥革命後の対中国外交のため中国特命全権公使に任命された。3年病死。現地および亡命中国人ともよく交流し,アジア主義を唱えた。国内のアジア主義グループ,出身地の玄洋社グループと接触し,中国事情に詳しかった。夫人は神鞭知常の長女賤香。<参考文献>一又正雄編『山座円次郎伝』
(酒田正敏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報