改訂新版 世界大百科事典 「山木兼隆」の意味・わかりやすい解説 山木兼隆 (やまきかねたか)生没年:?-1180(治承4) 平安末期の伊豆国目代。桓武平氏。信兼の子。俗称山木(八巻)判官。1179年(治承3)父の訴によって伊豆国山木郷に配されたが,伊豆国衙を支配下において勢力を広げた。しかし80年8月,そうした兼隆の動きに反発し,流人源頼朝の下に結集した土着の武士等の襲撃をうけて敗死した。執筆者:外岡 慎一郎 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山木兼隆」の解説 山木兼隆 やまき-かねたか ?-1180 平安時代後期の武将。平信兼の子。関兼衡(かねひら)の弟。目代(もくだい)として伊豆(いず)山木郷(静岡県)にすみ,山木(山牧)判官と号した。治承(じしょう)4年8月17日三島大社の祭礼の夜,警備の手薄をつかれて源頼朝の軍に攻められ殺された。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by