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山木兼隆 やまき かねたか

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

山木兼隆 やまき-かねたか

?-1180 平安時代後期の武将。
平信兼の子。関兼衡(かねひら)の弟。目代(もくだい)として伊豆(いず)山木郷(静岡県)にすみ,山木(山牧)判官と号した。治承(じしょう)4年8月17日三島大社の祭礼の夜,警備の手薄をつかれて源頼朝の軍に攻められ殺された。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

山木兼隆

没年:治承4.8.17(1180.9.8)
生年:生年不詳
平安末期の武士。和泉判官,山木判官と号す。検非違使,右衛門尉。平信兼の子,兄弟に兼衡,信衡,兼時がある。治承3(1179)年父との不和により解官,伊豆に配流された。同4年伊豆国が平時忠の知行国となり平時兼が国司となるとその目代となった。『平家物語』曾我物語』によれば,北条時政は兼隆を娘政子の婿にしようとしたという。源頼朝の挙兵に当たり,兼隆は「且は国敵として且は私の意趣」のゆえに第1の攻撃目標とされた。治承4年8月,頼朝は要害の地であった兼隆の館を藤原邦通に命じて内偵させ,17日三島神社の祭礼に乗じて挙兵し,兼隆は加藤景廉,佐々木盛綱らによって討たれた。

(西村隆)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

やまきかねたか【山木兼隆】

?‐1180(治承4)
平安末期の伊豆国目代。桓武平氏。信兼の子。俗称山木(八巻)判官。1179年(治承3)父の訴によって伊豆国山木郷に配されたが,伊豆国衙を支配下において勢力を広げた。しかし80年8月,そうした兼隆の動きに反発し,流人源頼朝の下に結集した土着の武士等の襲撃をうけて敗死した。【外岡 慎一郎】

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