20世紀日本人名事典 「山本信次郎」の解説 山本 信次郎ヤマモト シンジロウ 明治〜昭和期の海軍少将 生年明治10(1877)年12月22日 没年昭和17(1942)年2月28日 出生地神奈川県 学歴〔年〕海兵(第26期)卒,海大卒 経歴明治26年暁星中学在学中にマリア会司祭A.ヘンリックから受洗。海軍きってのフランス語の達人として北清事変、日露戦争、第1次世界大戦の講和会議に活躍。その間駐伊大使館付武官、東宮御学問所フランス語教授などを歴任し、少将。昭和12年日中戦争勃発後は16カ国を歴訪、カトリック世界に日本の立場を弁じ外交の好転を促したほか、日仏・日伊協会などの国際団体にも関与して国際親善に尽力。またカトリックの出版活動や青年運動にも従い、日本におけるカトリック協会の振興にも貢献した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山本信次郎」の意味・わかりやすい解説 山本信次郎やまもとしんじろう [生]1877.12.22. 神奈川[没]1942.2.28. 東京海軍軍人。 17歳でカトリックに入信。 1898年海軍兵学校,1909年海軍大学校卒業。フランス語に堪能で,05年日本海海戦では敵艦降伏に際し,通訳として功を立て,その後在外公館付き武官として活躍。皇太子裕仁の渡欧に随行し,宮内省御用掛となる。 36年少将。 37年日中戦争が勃発すると,翌年欧米,ブラジルを訪問し,日本の立場をローマ教皇やカトリック社会に訴えた。日仏協会をはじめとして,国際親善のために尽した。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山本信次郎」の解説 山本信次郎 やまもと-しんじろう 1877-1942 明治-昭和時代前期の軍人。明治10年12月22日生まれ。海軍にはいり,イタリア大使館付武官などをつとめ,大正10年皇太子(昭和天皇)の外遊に随行,のち宮内省御用掛。11年少将。また少年時代に受洗し,昭和13年カトリック民間使節として16ヵ国を歴訪した。昭和17年2月28日死去。66歳。神奈川県出身。海軍大学校卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by