山本坊跡(読み)やまもとぼうあと

日本歴史地名大系 「山本坊跡」の解説

山本坊跡
やまもとぼうあと

[現在地名]毛呂山町西戸

秩父山地の東縁、越辺おつぺ川沿いの山裾にあった修験寺院。もと越生おごせ黒山くろやま(現越生町)にあったが、文禄三年(一五九四)には越生郷西戸さいどに移転していたと思われる(同年一二月二九日「伊奈忠次・大久保長安連署証状」市川家文書)。しかし移転後も越生山本坊と通称した。草創時期については、源頼朝から諸堂と坊領についての御教書を得ていたとか(宝暦七年「山本坊名代吉田藤十郎追訴状」相馬家文書)、応永二年(一三九五)以来黒山村の内に坊領を所持していたとか(寛文八年「山本坊朱印地訴状」同文書)というが、明確ではない。文安元年(一四四四)一二月一三日の旦那譲状写(同文書)によると「山本大坊法印栄円」が箱根山領であった高萩たかはぎ(現日高市)駒形こまがた宮に拠る箱根山・伊豆山二所の旦那職を豊前阿闍梨に譲渡し、譲渡代銭の三分の二は堂島どうがしま(現神奈川県箱根町か)造営に、三分の一は駒形宮の造営に充てることにしている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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