日本歴史地名大系 「山田上村」の解説 山田上村やまだかみむら 大阪府:吹田市山田上村[現在地名]吹田市山田東(やまだひがし)二丁目・同四丁目・山田西(やまだにし)三―四丁目・津雲台(つくもだい)二―七丁目・古江台(ふるえだい)一―六丁目・青山台(あおやまだい)一―四丁目・藤白台(ふじしろだい)一―五丁目・山田北(やまだきた)・上山田(かみやまだ)・山田丘(やまだおか)・千里万博公園(せんりばんぱくこうえん)など山田八ヵ村の一で山田中(やまだなか)村の北にある。単に上村ともいう。村は千里丘陵のほぼ中心部に位置し、山田川が村の中央部を流れ、その一部平坦な地形を中心に村落が形成された。慶長一〇年(一六〇五)の摂津国絵図、元和初年の摂津一国高御改帳、寛永―正保期(一六二四―四八)の摂津国高帳に村名がみえるが、単独の村高は不明(→山田村)。 山田上村やまだかみむら 香川県:綾歌郡綾上町山田上村[現在地名]綾上町山田上山田下村・牛川(うしかわ)村の東にあり、綾(あや)川北岸の平野と標高一〇〇―二〇〇メートルの丘陵地に立地。山田下村とともに古代の阿野(あや)郡山田郷(和名抄)の遺称地。慶長一四年(一六〇九)の生駒一正預ケ状(生駒家宝簡集)で、山田上村の高三六〇石余が尾池玄蕃に預けられている。寛永国絵図では山田郷として当村のほか二五村を含め高五千四九石余とある。寛永一七年(一六四〇)の生駒領高覚帳では高六二〇石余。同一九年の小物成は綿七一一匁(高松領小物成帳)。貞享三年(一六八六)の検地帳(綾上町教育委員会蔵)によれば新開一一六石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報