山田弘倫(読み)ヤマダ ヒロミチ

20世紀日本人名事典 「山田弘倫」の解説

山田 弘倫
ヤマダ ヒロミチ

明治〜昭和期の陸軍軍医中将



生年
明治2年3月11日(1869年)

没年
昭和30(1955)年4月6日

出生地
岡山県久米北条郡打穴村(現・中央町)

旧姓(旧名)
寺田

別名
前名=倫二郎

学歴〔年〕
東京帝大医科大学〔明治30年〕卒,東京帝大大学院

学位〔年〕
医学博士

経歴
明治30年陸軍に入り、土肥慶蔵に師事して皮膚科専攻。大学院を経て、近衛師団定立病院長となり、日露戦争従軍。陸軍省医務局衛生課長、第12師団軍医部長、第1師団軍医部長、朝鮮軍軍医部長、軍医学校長、大正11年軍医中将、12年陸軍省医務局長を歴任。昭和3年退官。その後日本医科大学附属第1医院長。衛生課長時代の上司が軍医総督森林太郎医務局長で、著書に「軍医森鷗外」がある。他に「皮膚病診断及び治療法」「統計より観たる花柳病」(共著)など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山田弘倫」の解説

山田弘倫 やまだ-ひろとも

1869-1955 明治-昭和時代前期の軍人,医師。
明治2年3月生まれ。陸軍省衛生課長,陸軍軍医学校長などをへて大正12年陸軍省医務局長。軍医中将。衛生課長時代の上司に森林太郎(鴎外)がいる。退官後は日本医大付属第一医院長をつとめた。昭和30年4月6日死去。86歳。美作(みまさか)(岡山県)出身。東京帝大卒。旧姓は寺田。前名は倫二郎。著作に「軍医森鴎外」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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