フィールディング(読み)ふぃーるでぃんぐ(英語表記)Henry Fielding

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フィールディング」の意味・わかりやすい解説

フィールディング
ふぃーるでぃんぐ
Henry Fielding
(1707―1754)

イギリスの小説家。4月22日、サマーセットシャの名門の家に生まれる。幼時は裕福に育ったが、11歳で母に死なれ、父が再婚したあとはかならずしも家庭的に恵まれなかった。イートン校に学んだが、イギリスの大学には進まず、1728年、処女戯曲『恋の種々相』をロンドンで上演させたのち、オランダのライデン大学に入学して1年半ほど在籍、主として古典文学を学んだ。以後ロンドンに定住、30年から37年までに大小二十数編の戯曲を書き、一時は自ら一劇場の経営にもあたって、劇壇での地位を築いた。劇作では『トム・サム一代記』(1730)あたりが有名。当時は政治風刺の脚本が多く、彼もそのほうに手腕を発揮したため、時のウォルポール内閣はこれに恐れをなして、37年「検閲令」を制定、かつ劇場の多くを閉鎖させ、彼の劇壇活動は、執筆、劇場経営ともここで頓挫(とんざ)の憂き目をみた。この年法律の勉強を始め、40年法律家として登録、以後死ぬまで表芸は法律家であり、48年以後はロンドンの判事となった。

 文筆のほうでは1739年秋から『チャンピオン』という週3回発行の新聞に健筆を振るい、かつその経営にもあたった。なお彼はこののち小説家として名をなしてからも、新聞を経営、同時に定期的執筆をした時期が三度ある。45~46年の『真の愛国者』新聞、47~48年の『ジャコバイト』新聞、52年の『コベント・ガーデン』新聞がそれである。

 1740年、S・リチャードソンの小説『パミラ』の成功に刺激あるいは反発を感じて、翌41年戯作(げさく)『シャミラ』(『にせパミラ』の意)を匿名で発表、さらに42年、小説としての第一作『ジョーゼフ・アンドルーズ』を書いた。主人公はパミラの実弟という趣向で、リチャードソンを揶揄(やゆ)する書き出しだが、序文で自作を「散文による喜劇的叙事詩」と宣言し、人間の笑うべき虚偽を暴露する作品標榜(ひょうぼう)して、リチャードソンとはまったく別の芸術境を開拓し、すこぶる好評を得て、以後リチャードソンと生涯の好敵手というべき関係になった。雄編『トム・ジョーンズ』(1749)も同じ趣旨の執筆だが、規模も大きく、首尾も整い、人間をみる目も肥えて、彼の代表作となった。ほかに、実在の人物をモデルにした『大盗ジョナサン・ワイルド伝』(1743、改版1754)と『アミーリア』(1751)の両作があるが、どちらも前記二作に及ばない。リチャードソンが女性心理の描写を得意としたのに対し、彼はきびきびした男性を縦横に活躍させた。女性を主人公とした『アミーリア』は、リチャードソンへの対抗意識から生まれたかもしれないが、やはり彼の本領ではなかった。判事職が板についたための教訓癖も目だつ。しかし前記二作でイギリス小説確立期の代表作家たる地位は揺るがない。晩年は痛風に苦しみ、職を辞してリスボンに保養の旅に出かけたが、54年10月8日、同地で客死した。墓はいまも同地にある。『リスボン航海日記』(1755)は死後出版。このほか、判事の立場から犯罪防止のための建白なども執筆している。

[朱牟田夏雄]

『朱牟田夏雄著『フィールディング』(1966・研究社出版)』『田能口盾彦訳『シャミラ』(1985・朝日出版社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フィールディング」の意味・わかりやすい解説

フィールディング
Fielding, Henry

[生]1707.4.22. サマセットシャー,グラストンベリー近郊
[没]1754.10.8. リスボン
イギリスの小説家,劇作家。一時オランダのライデン大学で学ぶ。初め喜劇『恋の種々相』 Love in Several Masques (1728) で劇壇に入り,風刺喜劇『トム・サム』 Tom Thumb (30) で人気を博したが,検閲令のため劇作を断念して法律を学び,治安判事となり,また新聞経営にも従事した。 S.リチャードソンの『パミラ』 (40) の教訓調に反発して,そのパロディーに始る『ジョーゼフ・アンドルーズ』 Joseph Andrews (42) を書いて小説に転じ,続いて『大盗ジョナサン・ワイルド伝』 The Life of Mr. Jonathan Wild the Great (43) ,イギリス小説史を飾る代表作『トム・ジョーンズ』 The History of Tom Jones,A Foundling (49) ,『アミーリア』 Amelia (51) などを書いた。

フィールディング
Fielding, William Stevens

[生]1848.11.24. ノバスコシア,ハリファックス
[没]1929.6.23. オタワ
カナダの政治家。ノバスコシア州首相 (在任 1884~96) 。 1864年ハリファックスの『モーニング・クロニクル』紙に入社。ジャーナリストとして名を揚げたのち,82年州議会に当選して政界に入る。 84年ノバスコシア州自由党内閣の首相に就任。 96年 W.ローリエの率いる自由党が連邦政府を掌握すると蔵相として入閣,1911年までローリエ内閣と運命をともにした。 21~25年 W. L. M.キング内閣の成立とともに再び蔵相として入閣。 19年間蔵相をつとめたが,その健全財政,工業振興策,貿易の相互協定締結などは,いわゆる「ローリエ・ブーム」を支えたものとされている。

フィールディング
Fielding, Sarah

[生]1710
[没]1768
イギリスの女流作家。 H.フィールディングの妹。『デービッド・シンプル』 David Simple (1744) ,イギリスで最初の児童向け小説『女教師』 The Governess (45) などの作品がある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報