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山脇東洋 やまわきとうよう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

山脇東洋
やまわきとうよう

[生]宝永2(1705).12.18. 丹波,亀山
[没]宝暦12(1762).8.8. 京都
江戸時代中期の医師。日本で初めて官許を得て人体解剖を行なった人。名を尚徳,通称道作,字は玄飛または子樹,号は移山のちに東洋という。院号は養寿院。医師清水東軒の長子に生れたが,父の師で宮中の医官山脇玄脩の養子となった。儒者荻生徂徠に私淑し,後藤艮山古医方を学び,延享4 (1747) 年『外台秘要』 24巻を翻刻した。中国古来の内景図 (内臓図) に疑いをもち,人体解剖への熱意に燃えていたところ,宝暦4 (54) 年2月7日京都で若狭藩医原松庵らが死刑囚の獄中解剖を見ることを許され,東洋にもその場に立会う機会が与えられた。その所見や感想,刑死体への感謝の意,友人,弟子の書簡をまとめて『蔵志』 (2冊,59) を出版した。これが日本最初の人体解剖の記録である。著書にはほかに『養寿院医則』がある。

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デジタル大辞泉の解説

やまわき‐とうよう〔‐トウヤウ〕【山脇東洋】

[1706~1762]江戸中期の医者。京都の人。本名、清水尚徳。初め移山と号した。山脇玄修の養子となり、後藤艮山にも学び、古医方の大家となった。宝暦4年(1754)小杉玄適らと京都の刑場で解剖に立ち会い、日本最初の解剖記録「蔵志」を刊行。

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百科事典マイペディアの解説

山脇東洋【やまわきとうよう】

江戸中期の医学者。名は尚徳(なおのり)。丹波亀山の人で本姓は清水,京都の官医山脇家の養子。古医方(こいほう)を学ぶ一方で太宰春台(だざいしゅんだい)らと交わり,徂徠(そらい)学の感化を受ける。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

山脇東洋 やまわき-とうよう

1706*-1762 江戸時代中期の医師。
宝永2年12月18日生まれ。山脇玄修の養嗣子。法眼。後藤艮山(こんざん)に古医方をまなび,唐(中国)の古典「外台秘要方(げだいひようほう)」を復刻。実証精神にとみ,宝暦4年(1754)日本ではじめて男性囚人の死体を解剖し,9年その観察図誌「蔵志」を刊行した。宝暦12年8月8日死去。58歳。丹波亀山(京都府)出身。本姓は清水。名は尚徳。字(あざな)は玄飛,子樹。初号は移山。
【格言など】物を試みて言を其の上に載すれば,則ち庸人も立つ所ある也(「蔵志」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

山脇東洋

没年:宝暦12.8.8(1762.9.25)
生年:宝永2.12.18(1706.2.1)
江戸中期の医者。名は尚徳,字は玄飛,子樹,通称道作,はじめ移山,のち東洋と号した。父は清水立安,母は駒井氏。京都生まれ。実父立安は山脇玄修 の門で医学を修めた。東洋はその才を買われ,享保11(1726)年,玄修の養子となる。養祖父に当たる山脇玄心は曲直瀬玄朔の弟子で,禁裏の侍医となり,法印に叙せられ,勅命により養寿院の院号を賜った名医であり,養父の玄修は玄心の養嗣子で,法眼に進んだ。東洋が養子となった翌年,玄修は没し,その翌年家督を継いだ。享保14年には法眼に叙せられ,養寿院の称号をも継いだ。したがって医学における最初の師は養父玄修であり,その学統は曲直瀬玄朔にまでさかのぼることができる。医学上の第2の師は古方派の学祖とされる後藤艮山である。東洋は艮山の最晩年の門人であったが,その実証精神をよく学び,一方では前人未到の人体解剖の挙につながり,一方では『傷寒論』の再評価にとつながっていった。 宝暦4(1754)年閏2月7日官許を得て,京都六角獄舎で処刑された囚人の死体について解剖を行った。執刀は牛馬の屠者によったが,死体は頭部がなく,図は門人の浅沼佐盈が描いた。この折の記録は『蔵志』として同9年に刊行された。このような条件下での解剖であるから,現在の解剖学の知識からすれば欠陥が目立つが,『蔵志』は「右肺は襞二つ,左肺は襞一つ。管を以て気道を吹けば,則ち両肺は皆怒張し,鮮沢なること蝉翼に似たり」にみられるように,一部実験的操作をも加えながら,このはじめての解剖のありさまを生々しく伝えている。自身の著書は『養寿院医則』と『蔵志』があるにすぎないが,門人の編録になる『東洋洛語』『東洋先生方函』『養寿院医談』なども知られている。『外台秘要方』の翻刻も行っている。その医学は嗣子東門や,門弟永富独嘯庵,栗山文仲 らによって継承されていった。<参考文献>大塚恭男「山脇東洋」(『近世漢方医学書集成』13巻)

(大塚恭男)

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世界大百科事典 第2版の解説

やまわきとうよう【山脇東洋】

1705‐62(宝永2‐宝暦12)
江戸中期の医家。丹波国亀山の医家清水東軒の長子に生まれ,父の師匠筋に当たる京都の官医山脇玄修(道作)の養子となり,のち法眼の官位を得た。名は尚徳,字は玄飛また子樹,通称は道作,はじめ移山と号した。医を養父に学んだのち,古医方派の後藤艮山に学んで実証精神を身につけ,中国古典にいう五臓六腑説に疑問をもち,動物解剖を試みたが満足できずに年月を経過するばかりだった。その間,儒学の古学派荻生徂徠の学問に傾倒し,梁田蛻巌(やなだぜいがん)がそれを戒めたが,徂徠の高弟太宰春台,服部南郭と交わり徂徠学の感化を受け実証精神を深めた。

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大辞林 第三版の解説

やまわきとうよう【山脇東洋】

1705~1762) 江戸中期の古方医。丹波国亀山の人。本名、清水尚徳、字あざなは玄飛。刑死体を解剖して日本最初の解剖図誌「蔵志」を著した。近代的実験医学の先駆とされる。著「養寿院医則」「方函」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

山脇東洋
やまわきとうよう
(1705―1762)

江戸中期の医者。丹波(たんば)国亀山(かめやま)(京都府)の医家清水立安を父に生まれる。名は尚徳、字(あざな)は玄飛または子飛。初め移山、のち東洋と号した。1726年(享保11)京都、宮中の医官で法眼(ほうげん)の山脇玄修(げんしゅう)(1654―1727)の養子となり、その家督を継いで1729年には法眼に叙せられた。養父玄修について医を学んだが、これに飽き足らず、当時おこってきた古医方派の後藤艮山(こんざん)に師事、その学説を攻究し、実証精神を学び、古医方の大家と称されるに至った。1746年(延享3)唐の王(おうとう)の著書『外台秘要方(げだいひようほう)』40巻を復刻し、古医方家としての声価をいよいよ高めた。また人体の内部構造についての五臓六腑(ろっぷ)説に疑いをもち、先輩の話を聞いたり、内臓が人間に似ているといわれていたカワウソを自ら解剖したりしたが、疑問は解けなかった。1754年(宝暦4)京都の西の刑場で斬刑(ざんけい)に処せられた死体を官許を得て解剖、人体の内部構造を直接観察した。このときの記録が1759年に刊行された『蔵志(ぞうし)』で、この書は日本で公刊された最初の人体解剖記録である。[大鳥蘭三郎]

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367日誕生日大事典の解説

山脇東洋 (やまわきとうよう)

生年月日:1705年12月18日
江戸時代中期の医師
1762年没

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世界大百科事典内の山脇東洋の言及

【医学】より


[江戸時代]
 江戸時代の医学の主流は,上述の新しく中国から受容した医学であったが,その中にあって,あえて古い医学,とくに《傷寒論》を基本にしようという医師たちが現れた。その先駆者は,永田徳本,名古屋玄医後藤艮山(ごとうこんざん),山脇東洋吉益東洞らである。彼らは古医方派とよばれる。…

【解剖学】より

…1世紀ころに出た《霊枢》(《黄帝内経》)には人体表面や内部の構造が解かれている。日本では京都の山脇東洋が1754年(宝暦4)の2月7日に最初の人体解剖を行い,五臓六腑説が正しいかどうかを確かめ,5年後に《蔵志》を出版した。ついで杉田玄白,前野良沢らは71年(明和8)3月4日に江戸で人体解剖を行い,ドイツ人クルムスの著,俗にいう《ターヘル・アナトミア》を翻訳し《解体新書》(1774)を出版した。…

【蔵志】より

…日本最初の実証的解剖書。古医方派の後藤艮山(こんざん)に学んだ京都の官医山脇東洋が,中国の内景(五臓六腑)説に疑問をもち,動物を解剖して実地に生物の内部構造を確かめたうえで,1754年(宝暦4)閏2月7日に京都所司代の官許を得て刑死体の解剖を行い,5年後の59年にこの解剖所見と解剖図を発表したのが本書で,付録に数編の東洋の医説や交友の書簡を収めている。解剖図は門人の浅沼佐盈(さえい)が描いた原図をもとに,木版で輪郭の線だけを彫って墨刷りし,内部は手彩色された。…

※「山脇東洋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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