20世紀日本人名事典 「山路一遊」の解説 山路 一遊ヤマジ イチユウ 明治・大正期の教育者 愛媛県師範学校長。 生年安政5年10月17日(1858年) 没年昭和7(1932)年8月19日 出生地伊予国松山(愛媛県松山市) 学歴〔年〕東京高等師範学校卒 経歴松山藩士山路一審の子。弟に日本海軍における航空の創始者・山路一善らがいる。藩校明教館や大阪英語学校・東京師範学校を経て明治17年文部省御用掛となる。19年弱冠29歳で高知県師範学校長に抜擢されたのを皮切りに、香川・兵庫・愛知の各県師範学校長や埼玉県視学などを歴任。大正2年郷里の愛媛県師範学校長に就任し、師範教育の発展に尽力。また、徳育第一主義を掲げて優秀な人材を数多く育てた。12年に同退職。著書に「読書法」「常識の研究」、遺稿集に「天放集」がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山路一遊」の解説 山路一遊 やまじ-いちゆう 1858-1932 明治-大正時代の教育者。安政5年10月17日生まれ。明治17年文部省にはいり,高知,香川,兵庫,愛知などの師範学校長を歴任。大正2年愛媛師範校長となり,師範教育の改善発展につくした。昭和7年8月19日死去。75歳。伊予(いよ)(愛媛県)出身。東京師範卒。号は天放。著作に「読書法」「常識の研究」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by