航空(読み)コウクウ

デジタル大辞泉 「航空」の意味・読み・例文・類語

こう‐くう〔カウ‐〕【航空】

航空機などに乗って空中を飛行すること。「民間航空
[類語]運航通航航行航海舟航進航周航就航巡航回航直航

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精選版 日本国語大辞典 「航空」の意味・読み・例文・類語

こう‐くうカウ‥【航空】

  1. 〘 名詞 〙 航空機などで空中を飛行すること。
    1. [初出の実例]「航空(カウクウ)を鳥に教へられ、潜艇を魚に教へられた模倣性から云っても」(出典:裸に虱なし(1920)〈宮武外骨〉動物的進化の汽船)

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改訂新版 世界大百科事典 「航空」の意味・わかりやすい解説

航空 (こうくう)

地球の周りにある空気によって生ずる静的あるいは動的な空気力を利用して飛行すること。地表から離れるにしたがい,空気の密度が減るので,生ずる空気力がそれに比例して弱くなる。したがって,現代の航空機が水平飛行を続けられる実用高度はだいたい0~20kmの範囲である。これまでの水平飛行における高度の最高記録は25.9km(1976),母機から進発したロケット機の到達高度としては95.9km(1962)の記録がある。

航空のルーツとして,ギリシア神話ダイダロス,イカロス父子の物語がよくあげられるが,このほかにも,古代の神話,絵画,彫刻などに,人間の空へのあこがれを表したものはたくさん残っている。人間の飛行の可能性を初めて科学的に追究したのはレオナルド・ダ・ビンチで,羽ばたき機,ヘリコプターグライダーなどの考案を発表した。しかし,産業革命以前で,機械的動力をまったく利用できない時代では,成功するはずもなく,模型による飛行実験すら行われなかった。

 1783年11月21日,フランスのモンゴルフィエ兄弟の発明した熱空気入り気球によって人類最初の飛行が行われた。搭乗者はピラートル・ド・ロジエJean François Pilâtre de Rozier(1756-85)およびダルランド侯爵François marquis d'Arlandes(1742-1809)の2人で,時の国王ルイ16世は,このような危険に満ちた実験に2人の有為な青年貴族の生命を賭けることに強く反対し,代りに2人の罪人を乗せるよう命令した。しかし彼らは情熱をこめて国王を説得し,そのおかげで人類の航空史の第1ページを汚さずにすんだ。その10日ほど後に,フランスの物理学者J.A.C.シャルルのより実用的な水素ガス入り気球が飛行に成功した。気球は空気より軽いガスを詰めた袋の静浮力を利用するものであるから,原理的にはきわめて簡単で,たちまち世界各国に普及した。しかし,推進装置をもっていないので,風の方向に流されて飛ぶほかはなく,交通機関としては致命的な欠陥をもっていた。1859年,アメリカのインディアナ州ラファイエットに住むワイズJohn Wise(1808-79)はその地域の恒風である西風を利用して,気球で郵便物を運ぶ計画をたて,その町から東方にある町々にあてた郵便物を載せて上昇した。あいにくその日は,上空には期待した西風はなく,気球は意に反した方向に流されてしまい,世界最初の郵便飛行計画は失敗に終わった。

 19世紀後半になって,この気球の欠陥を補うため,当時ようやく実用化された蒸気機関や電動機でプロペラを駆動する推進装置を付け,ガス袋を空気抵抗の少ない流線形にした新しい乗物--飛行船--がフランスをはじめ各国で開発された。しかし初期のものは大馬力の動力装置を積む余力がないためスピードが遅く,少し風があると航行困難になった。20世紀に入って,ドイツのF.ツェッペリン硬式飛行船が出現するにおよんで,その性能は飛躍的に向上し,1910年からは,20~25人乗りのツェッペリン飛行船により,ドイツ国内の各都市を結ぶ世界最初の有償航空旅客輸送が始められた。この運航は第1次世界大戦の始まる14年まで続き,3万4000人を運んだ。

気球,飛行船のような空気より軽い航空機--軽航空機--に対し,翼に働く動的空気力(揚力)で重量を支えて飛ぶ空気より重い航空機--重航空機--すなわちグライダー飛行機ヘリコプターなどはその発達が著しく遅れた。人間が重航空機を発明するに当たって,まず手本にしたのは鳥であるが,鳥は複雑な羽ばたき運動によって,重量を支える揚力と前進のための推進力を同時に発生させて飛んでいる。人間はこれをそのまま模倣しようとしたために,なかなか成功しなかったのである。この迷いから脱して,揚力は固定した翼により,また推進力はプロペラにより,それぞれ別々に発生させるようにしたことが成功の鍵であった。ドイツのO.リリエンタールは,1891年固定翼つきのグライダーで滑空実験を開始し,各国の研究者がこれに続いた。この未開の分野の開拓のため,リリエンタールをはじめ,多くの人が墜落して命を失った。

 アメリカのライト兄弟は,滑空実験結果をもとに製作した機体に,重量が軽い割りに馬力のでるガソリンエンジンを積んだ飛行機で,1903年12月17日,世界最初の動力飛行に成功した。モンゴルフィエ兄弟による気球による人類最初の飛行よりちょうど120年も後だった。

ライト兄弟の成功に刺激されて,各国の先覚者たちの研究熱は一段と高まり,思い思いの発想でこの新しい形式の航空機の開発に取り組んだ。その結果,飛行機の性能は目覚ましい進歩を遂げ,各国の飛行家は競って新記録の樹立や新空路の開拓に挑戦した。その先頭をきって,フランスのL.ブレリオは,09年自作の単葉機で英仏海峡(カレー~ドーバー間)の横断に成功,さらに10年ペルーのシャベーズGeo Chavez(1887-1910)のアルプス横断(ブリーク~ドモドッソラ間。目的地に着陸の際墜落死亡),13年,フランスのガロスRoland Garros(1888-1918)の地中海横断(サンラファエル~ビゼルト間)と続く。第1次世界大戦後,世界の飛行家の目は大西洋に向けられ,19年,イギリスのアルコックJohn William Alcock(1892-1919)およびブラウンArthur Whiten Brown(1886-1948)は初めて無着陸横断(ニューファンドランド~アイルランド間)に成功,27年にはアメリカのC.リンドバーグはニューヨーク~パリ間を単独で飛んで,無名の郵便飛行士から一躍空の英雄となった。さらに南太平洋(1928),北太平洋(1931),北極(1926),南極(1929)なども飛行機によって征服され,1930年代前半までには,飛行機の航跡は地球上のすべての部分をおおいつくした。

 しかし当時の飛行機の性能や信頼性では,このような新空路の開拓はいちかばちかの冒険であって,乗員の技術や体力や精神力で飛行機の能力の不足を補って飛んでいたといえよう。1919年から30年までに各国の飛行家によって試みられた大西洋横断飛行は61件に達したが,その中で成功したのはわずか16件(26%),ほかは離陸に失敗したり,海上に不時着したり,行方不明になっている。当時の空路開拓飛行の困難さをよく示している。

飛行機による定期旅客輸送が本格的に始まったのは1919年,第1次世界大戦終了の翌年である。この定期航空網はしだいに地球上のいろいろの地域に広がり,旅客需要も増加していった。しかし20年代から30年代初めにかけては航空技術の進歩が比較的低調で,輸送機としては客席数20以下,巡航速度200km/h程度のものが多く使われており,交通機関として鉄道や船と対抗できるまでにはなっていなかった。ところが30年代後半,アメリカのダグラスDC3(28席,300km/h)で代表される輸送機の近代化が実現し,さらに第2次世界大戦の厳しい試練を受けて,戦後の輸送機は性能,信頼性とも格段の進歩を遂げた。58年にはイギリスのコメット4型,アメリカのボーイング707が就航して本格的なジェット時代が始まった。一般にジェット輸送機はプロペラ輸送機に比べて,巡航速度がはるかに速く,航続性能もすぐれ,旅客や貨物の積載能力も大きく,振動が少なくて乗りごこちがよいなどの長所があり,しだいに普及して今では世界の全輸送機のうち約65%がジェット機である。ただし,プロペラ輸送機に比べて離着陸滑走距離が長く,エンジン騒音がより大きいなどの欠点があるので,プロペラ輸送機にもいろいろの使いみちがあり,当分は滅びないであろう。

 なお,大型硬式飛行船による定期航空は,第1次世界大戦前の1910-14年に続いて,31-37年まで,ドイツがツェッペリン伯号およびヒンデンブルク号の2隻を用い,ドイツ~ブラジル間の長距離運航を行った。当時の飛行機がとうてい及ばない航続性能と豪華な客室設備を誇っていたが,ヒンデンブルク号の爆発をもって終止符が打たれ,以来今日まで再起の兆しはない。巡航速度のきわめて低いこと,外形が大き過ぎて取扱いが不便なことなどが,おもな理由である。

日本の航空活動は欧米諸国より遅れてスタートし,1910年,徳川好敏(1884-1963),日野熊蔵(1878-1946)が,それぞれフランスとドイツから輸入した飛行機で初飛行したのに始まる。一方では,同年山田猪三郎製作の飛行船が初飛行し,11年奈良原三次製作の飛行機が初飛行するなどの活躍もあったが,その技術水準は欧米に及ばず,結局は先進国からの技術導入,ライセンス生産によって,日本の航空工業は始まった。このような状態を続けている間にしだいに独自の技術が育成され,35年ころには陸海軍の各種の軍用機で,欧米の水準に劣らぬ性能をもち,しかも操縦性が優れているなど,日本独特の長所をもった国産機が次々に出現した。37年,神風号が東京~ロンドン間を途中11着陸,94時間17分56秒で飛び国際記録を樹立したり,38年,航研機が1万1651kmを無着陸で飛び,周回航続距離の世界記録を樹立したのも,当時の技術水準の高さを物語っている。

 一方,航空輸送の面では,1922年に大阪~徳島,大阪~高松間の運航を始めた日本航空輸送研究所などの先駆的活動に続いて,29年,日本航空輸送株式会社が政府の補助を受けて東京・大阪・福岡・蔚山・京城・平壌・大連間に本格的な旅客,貨物,郵便物の定期輸送を開始した。38年には,日本航空輸送株式会社が解散し,大日本航空株式会社が創立されるとともに,東京~バンコク線,飛行艇による横浜~サイパン~パラオ線などの国際定期航空も開始され,輸送実績は著しい伸びを示した。45年,敗戦によりすべての航空活動は禁止されたが,講和条約発効の52年から再開された。航空工業の面では民間機としてYS11,YXジェット輸送機(ボーイング社と共同開発の767型),自衛隊機としてF1超音速戦闘機,C1ジェット輸送機,PS1哨戒飛行艇などの高性能機を自主開発できる技術水準をもつに至った。また航空輸送の面では,80年度に旅客数が国内線4042万人,国際線(出入国合計)1215万人に達し,国内線旅客数はアメリカ,ソ連(現ロシア)に次ぎ世界第3位,国土面積当りでは断然世界のトップを占めるなど著しい発展を示した。
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百科事典マイペディア 「航空」の意味・わかりやすい解説

航空【こうくう】

航空機に人や物を乗せて空中を飛ぶこと。航空の幕が切って落とされたのは1783年,モンゴルフィエ兄弟が製作した熱気球にピラトール・ド・ロジェとダルランド侯爵が乗り組んで空へ昇ったときである。19世紀後半には蒸気機関や電動機駆動のプロペラを推進装置としてもつ飛行船が登場し,20世紀に入るとドイツのツェッペリン飛行船によって世界最初の有償航空旅客輸送が始められた。しかしこれらは空気より軽い軽航空機であり,翼に働く揚力で重量を支えて飛ぶ空気より重い航空機,すなわち重航空機のほうはずっと後れて,ようやく19世紀の終りからグライダーによる実験が始まった。1903年にライト兄弟が初めて飛行機による飛行に成功して以後は,航空の発展は飛行機を中心として急速に進み,現在では主要な高速交通機関であるだけでなく,産業航空や自家用・スポーツ航空の分野にも広がっている。また軍用航空も攻撃,偵察,輸送,哨戒(しょうかい)など,戦闘各部面に支配的な力を発揮する。技術的にみた今日の航空の内容はきわめて広範で,航空機の機体や原動機などにとどまらず,航空計器や電子・通信装備,航法技術,空港設備,航空交通管制システム,航空救難,航空医学・心理学などにわたる。これらはその国の技術水準の一指標でもあり,最近はさらにロケット,宇宙飛行などの分野へも応用されている。→航空原動機航空運送事業航空宇宙工業

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「航空」の意味・わかりやすい解説

航空
こうくう
aviation

なんらかの機械または器具に人間や物を乗せ、空中を自由に航行すること。この場合、空中とは、大気のあるなしに関係なく、宇宙空間も含まれる。航空はその目的によって、軍事、民間(スポーツ、輸送、測量、調査など)、および政府が直轄する救難・監視を目的とするものに分けることができる。

[落合一夫]

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