日本大百科全書(ニッポニカ) 「山路諧孝」の意味・わかりやすい解説
山路諧孝
やまじゆきたか
(1794―1861)
江戸後期の天文暦学者。通称弥左衛門(やざえもん)。1809年(文化6)暦作測量御用手伝、翌年、父才助徳風(よしつぐ)(1761―1810)の後を継いで天文方となり、1829年(文政12)4月、高橋景保(かげやす)取扱の蘭書和解御用(らんしょわげごよう)当分取扱となった。1844年(弘化1)渋川景佑(かげすけ)、足立信頭(しんとう)と『寛政暦書(かんせいれきしょ)』『同書続録』を完成して進呈し、1849年(嘉永2)御鉄砲御箪笥(おたんす)奉行格に昇進、同年『新法暦書数理選述』を進献した。1856年(安政3)蕃書調所(ばんしょしらべしょ)取建になり、蕃書類翻訳は同所で取り扱うことになり、山路役宅では和解御用を免ぜられた。この間、長年にわたるたびたびの暦書類編纂(へんさん)、蘭書和解御用、オランダ国王からの書簡和解御用、ロシア船からの差出し書簡和解、海上砲術の蘭書和解などの業務にあたり、そのつど褒賞として手当を受けた。
[渡辺敏夫]