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江戸時代、天文、暦算に従事した幕府の職名で、司天官ともいう。1684年(貞享1)、貞享改暦(じょうきょうかいれき)の主導者、安井算哲(さんてつ)(のち渋川春海(はるみ))の就任が天文方の嚆矢(こうし)。編暦の推算を行って、平安時代以来編暦に携わってきた土御門(つちみかど)家に送る仕事をした。また、江戸の浅草、九段の司天台(天文台)を管理し、1811年(文化8)に天文台に置かれた蘭書(らんしょ)・外交文書などの翻訳、調査に従事した蕃書和解(ばんしょわげ)御用掛をも監督した。天文方としては渋川、猪飼(いかい)、西川、山路、吉田(のち佐々木)、高橋の六家が有名で、のち奥村、足立(あだち)の二家も任ぜられた。明治の太陽暦採用以降、編暦の仕事は天文暦道局から星学局、さらに現在の国立天文台に受け継がれた。
[片桐一男]
江戸幕府の役職。1684年(貞享元)貞享改暦の功により渋川春海(はるみ)が天文方に任じられたのが最初。1744年(延享元)から常置。はじめ寺社奉行に属したが46年以後若年寄支配。天文観測・編暦・改暦・測量・地誌編纂が主務。1811年(文化8)高橋景保の建議により蛮書和解御用(ばんしょわげごよう)がおかれ,洋書の翻訳が行われるようになり,56年(安政3)の蕃書調所設立まで続いた。職禄は100俵5人扶持。世襲制であったが,専門職なので,有能な弟子を養子にすることが多かった。改暦などのときには配下や民間からとりたてられることもあった。幕末までに渋川・猪飼・西川・山路・吉田・奥村・高橋・足立の8家が天文方に任じられた。
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…これらの研究を進めるとともにみずからも観測を行い,初めて自国の暦法貞享(じようきよう)暦を作るのに成功したのが渋川春海であった。彼はその功績によって最初の天文方(てんもんかた)に登用された。貞享暦以後は宝暦暦,寛政暦と次々改められ,1844年(弘化1)より最後の太陰太陽暦である天保暦が施行された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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