天文方(読み)テンモンカタ

デジタル大辞泉 「天文方」の意味・読み・例文・類語

てんもん‐かた【天文方】

江戸幕府職名若年寄に属し、天文・暦術・地誌・測量洋書翻訳などをつかさどった。

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精選版 日本国語大辞典 「天文方」の意味・読み・例文・類語

てんもん‐かた【天文方】

  1. 〘 名詞 〙 江戸幕府の職名。若年寄に属し、天文・暦術・測量・地誌・蘭書の翻訳などを担当した。貞享元年(一六八四)幕府碁所二代安井算哲(のち渋川春海)が任命されたのが最初。〔明良帯録(1814)〕

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百科事典マイペディア 「天文方」の意味・わかりやすい解説

天文方【てんもんかた】

江戸幕府の職名。編暦をつかさどる。編暦事業は朝廷陰陽(おんみょう)寮の所管であったが,1684年渋川春海(はるみ)が貞享(じょうきょう)暦をつくると,幕府は春海新設の天文方に任命,以来編暦の実権は天文方に移った。渋川家の世襲職であったが,必要に応じて優秀な人材が登用された。初め寺社奉行,のち若年寄支配。俸禄100俵,5人扶持。
→関連項目伊能忠敬高橋景保馬場佐十郎箕作秋坪

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「天文方」の意味・わかりやすい解説

天文方
てんもんかた

江戸時代、天文、暦算に従事した幕府の職名で、司天官ともいう。1684年(貞享1)、貞享改暦(じょうきょうかいれき)の主導者、安井算哲(さんてつ)(のち渋川春海(はるみ))の就任が天文方の嚆矢(こうし)。編暦の推算を行って、平安時代以来編暦に携わってきた土御門(つちみかど)家に送る仕事をした。また、江戸の浅草、九段の司天台(天文台)を管理し、1811年(文化8)に天文台に置かれた蘭書(らんしょ)・外交文書などの翻訳、調査に従事した蕃書和解(ばんしょわげ)御用掛をも監督した。天文方としては渋川、猪飼(いかい)、西川、山路、吉田(のち佐々木)、高橋の六家が有名で、のち奥村足立(あだち)の二家も任ぜられた。明治の太陽暦採用以降、編暦の仕事は天文暦道局から星学局、さらに現在の国立天文台に受け継がれた。

[片桐一男]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「天文方」の解説

天文方
てんもんかた

江戸幕府の役職。1684年(貞享元)貞享改暦の功により渋川春海(はるみ)が天文方に任じられたのが最初。1744年(延享元)から常置。はじめ寺社奉行に属したが46年以後若年寄支配。天文観測・編暦・改暦・測量・地誌編纂が主務。1811年(文化8)高橋景保の建議により蛮書和解御用(ばんしょわげごよう)がおかれ,洋書の翻訳が行われるようになり,56年(安政3)の蕃書調所設立まで続いた。職禄は100俵5人扶持。世襲制であったが,専門職なので,有能な弟子を養子にすることが多かった。改暦などのときには配下や民間からとりたてられることもあった。幕末までに渋川・猪飼・西川・山路・吉田・奥村・高橋・足立の8家が天文方に任じられた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「天文方」の解説

天文方
てんもんかた

江戸幕府の職名
天文測量・暦の編集にあたる。1684年渋川春海 (はるみ) が初任。蘭学の興隆とともに拡充され,1811年部局内に蕃書和解御用を置いた。高橋至時 (よしとき) ・景保 (かげやす) 父子らが有名。また伊能忠敬の地図作成にも天文方が関与した。

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世界大百科事典(旧版)内の天文方の言及

【暦】より

…これらの研究を進めるとともにみずからも観測を行い,初めて自国の暦法貞享(じようきよう)暦を作るのに成功したのが渋川春海であった。彼はその功績によって最初の天文方(てんもんかた)に登用された。貞享暦以後は宝暦暦寛政暦と次々改められ,1844年(弘化1)より最後の太陰太陽暦である天保暦が施行された。…

※「天文方」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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