日本歴史地名大系 「山辺道勾岡上陵」の解説
山辺道勾岡上陵
やまのべのみちのまがりのおかのへりよう
「古事記」崇神天皇段に「天皇の御歳、壱佰陸拾捌歳戊寅の年の十二月に崩りましき。御陵は山辺の道の勾の岡の上に在り」、「日本書紀」崇神天皇六八年一二月五日条に「明年の秋八月の甲辰の朔甲寅に、山辺道上陵に葬りまつる」、「延喜式」(諸陵寮)に「山辺道上陵磯城瑞籬宮御宇崇神天皇、在大和国城上郡」とみえる崇神天皇陵を「大和志」は「在渋谷村南今称向山陵陵畔有冢四」とし、現在景行天皇陵に比定されている
とあるように、幕末からは柳本町の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報