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岐部カスイ・ペドロ きべ・かすい・ぺどろ

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朝日日本歴史人物事典の解説

岐部カスイ・ペドロ

没年:寛永16.6頃(1639)
生年:天正15(1587)
聖地エルサレムを訪れた最初の日本人,殉教者。ペドロは洗礼名。豊後(大分県)国東半島の豪族岐部氏の一族。慶長11(1606)年ごろ有馬のセミナリオ(神学校)を終え,イエズス会の同宿(伝道士)となる。カスイ(Cassui)はそのとき用いた号か。同19年10月国外追放の宣教師に同行してマカオに渡るが,勉学と司祭叙階の希望を絶たれ,インド,パレスチナを通りエルサレムに巡礼して,元和6(1620)年ごろローマ到着。同年10月ローマ教区の特別な計らいで司祭適性試験を受け同月21日(11.15)ラテラノ大聖堂で司祭に叙階,5日後にイエズス会の聖アンドレア修練院で入会を許された。そのときの身上書に「名はペドロ・カスイ,当年33歳,出身地は日本豊後国浦辺」とある。同8年4月ローマをたち,マドリード,リスボンを経て寛永1(1624)年4月ゴアに至り,翌年マカオに着く。日本渡航の手立てを求めて同4年シャム(タイ)に行き,マニラを経て同7年5月松田ミゲル神父と共にルバング島をたって薩摩(鹿児島県)の坊ノ津に上陸,長崎から東北に潜入して布教に従事。同15年末ないし翌年初めに仙台領で捕らわれ式見マルティノ神父らと江戸送りとなる。大目付井上筑後守政重の訊問を受け,穴吊しの拷問に耐えたのち,斬首された。彼の一代記「転ばず候」が平成4(1992)年10月大分県民オペラにより上演された。<参考文献>H.チースリク『キリシタン人物の研究』

(五野井隆史)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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