朝日日本歴史人物事典 「岡本監輔」の解説
岡本監輔
生年:天保10(1839)
幕末維新期の北方政策に関与した探検家,官吏。通称は文平,号は韋庵。阿波(徳島県)の医薬家に生まれる。文久3(1863)年から慶応1(1865)年に樺太と蝦夷地を踏査,樺太北部の状況をはじめて明らかにした。明治1(1868)年2月,侍従清水谷公考らを説き,蝦夷地経営の急務を説く建議を朝廷に提出させた。4月,箱館裁判所の内国事務局権判事となり箱館に在勤する。同年閏4月,箱館府権判事となり樺太全島の事務を委任される。移民を連れクシュンコタンに至る。明治2年には開拓判官となるが,政府の樺太政策に不満を持ち辞任。のち,東大予備門御用掛,一高講師,台湾総督府国語学校教授などを歴任。京都で没。<著作>『岡本氏自伝』<参考文献>河野常吉『岡本監輔先生伝』
(麓慎一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報