岡村千馬太(読み)オカムラ チマタ

20世紀日本人名事典 「岡村千馬太」の解説

岡村 千馬太
オカムラ チマタ

明治〜昭和期の教育者 南安曇郡梓尋常高等小学校校長



生年
明治8年(1875年)

没年
昭和11(1936)年6月15日

出生地
長野県安曇郡明盛村(現・三郷村)

学歴〔年〕
長野県師範学校〔明治30年〕卒

経歴
在学中から東邦協会に入り、各界名士と交流。明治30年に卒業後、長野県内各地の尋常小学校訓導や校長などを歴任した。44年同志とはかって東西南北会を設立し、後援会に三宅雪嶺犬養毅・杉浦重剛らを招いて人格教育の鼓吹尽力諏訪・小県郡視学や長野県視学を経て大正11年に埴科郡長に任命されるが、すぐに辞職。12年南安曇郡の梓尋常高等小学校校長に就任し、昭和4年まで在職した。晩年は東京に住んだ。その高潔な人柄を偲び、毎年6月には松本市城山の頌徳碑前で岡村忌が催されている。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡村千馬太」の解説

岡村千馬太 おかむら-ちまた

1875-1936 明治-昭和時代前期の教育者。
明治8年生まれ。長野師範(現信州大)在学中に東邦協会にはいる。明治30年から郷里長野県各地の小学校で訓導,校長を歴任。44年同志と東西南北会を結成,人格主義教育をすすめた。昭和11年6月15日死去。62歳。号は天機

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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