岡田茂吉(読み)オカダ モキチ

20世紀日本人名事典 「岡田茂吉」の解説

岡田 茂吉
オカダ モキチ

大正・昭和期の宗教家 世界救世教教祖。



生年
明治15(1882)年12月23日

没年
昭和30(1955)年2月10日

出身地
東京都台東区橋場

学歴〔年〕
高小卒

経歴
東京・浅草の古道具商に生まれる。生来病弱で青年期の肺結核を菜食療法で克服。大正8年岡田商会を設立したが震災と恐慌で再起不能となり、昭和3年大本教布教師となる。6年神示により千葉県鋸山の日本寺に参籠、9年岡田式神霊指圧療法を始め、大日本観音会を開教した。宇宙の主神を大光明真神(みろくおおみかみ)となし、岡田の掌から放つ観音力で浄霊され万病が治るといわれた。たびたび検挙されたが、信者が増え、このときの収入(約70万円)で熱海の土地と美術品などを購入、22年日本観音教団として再建。25年世界メシヤ教、ついで世界救世教と改称、熱海、箱根、京都に聖地を建設。57年に生誕100年を記念してMOA美術館が設立された。一般には“メシア教”“お光様”といわれている。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡田茂吉」の解説

岡田茂吉 おかだ-もきち

1882-1955 大正-昭和時代の宗教家。
明治15年12月23日生まれ。大正9年大本(おおもと)教に入信して布教師となる。昭和6年神示をうけ,9年岡田式神霊指圧療法をはじめ,大日本観音会をひらく。22年静岡県熱海で日本観音教団として再建,自然農法をとなえ,25年世界救世教にあらためた。おおくの美術品の収集で知られる。昭和30年2月10日死去。72歳。東京出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「岡田茂吉」の解説

岡田 茂吉 (おかだ もきち)

生年月日:1882年12月23日
大正時代;昭和時代の宗教家。世界救世教教組
1955年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の岡田茂吉の言及

【伊豆山[温泉]】より

…相模灘に面したながめのよい閑静な温泉で,多くの文人に愛され,与謝野晶子は《明星》同人とともにここで歌を残し,谷崎潤一郎はここを舞台に戯曲《腕角力》を書いた。温泉街の中央には,源頼朝が北条政子とあったといわれる逢初橋,岡田茂吉の収集した日本,中国などの東洋美術品を公開するため1957年に開設されたMOA美術館などがある。【塩川 亮】。…

【世界救世教】より

…岡田茂吉(1882‐1955)が開いた大本教系の新宗教。岡田は,青年期の肺結核を菜食療法で克服し,民間療法による病気治癒に努めた。…

※「岡田茂吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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