神社や仏堂などへ参り,一定の期間昼も夜もそこに引き籠(こも)って神仏に祈願すること。古来祭りに神を迎える際には一定の場所に忌み籠って身心を慎む聖別の過程があるが,参籠はこの籠りの儀礼がとくに個人的な祈願形式となって平安朝以来発達したもの。〈三日参籠〉(《太平記》),〈七日参籠〉(《白峯寺縁起》),〈百日参籠〉(《平家物語》)など日限をつけて参籠し,最終日を結願(満願)の日として神仏の効験(利生)があることを期待する。《平家物語》に,上賀茂社が雷火で炎上した際に社殿に籠っていた聖が〈われ当社に百日参籠の大願あり。けふは七十五日になる。まつたくいづまじ〉といって動かなかったとある。また《宇治拾遺物語》に〈長谷寺参籠男利生にあづかる事〉という有名な効験譚や《太平記》に足利尊氏が厳島神社に三日参籠して結願の日に京都から院宣が届いた話などがある。参籠の日数が多いほど神仏に訴える効果があり,神仏もその熱意に感応せざるをえなくなる。また《古今著聞集》の〈興福寺の僧八幡に参籠しての夢に大菩薩託宣の事〉も,夢に春日大明神があらわれてこの僧にかねてから朝夕せめ立てられたことを語っている。俊乗坊重源が東大寺建立の願を発して伊勢神宮に詣でて内宮と外宮とで七日ずつ参籠し,いずれも〈七日みつ夜の夢〉にお告げがあって翌朝宝珠を賜ったとある。願を掛けて寺社の堂宇に参籠することは,極限的には夢見がちになって神仏に出会い祈願の成就を確信する形式を物語っている。参詣が大衆化すると社寺の宿泊所を参籠所と称し,沐浴潔斎の設備を整えるようになった。しかしこれも地域社会の習俗で神職や神役たちが祭りに先立って一定期間特定の建物に物忌精進の生活をした派生であり,この場合はもっぱら聖別浄化を目的とするのであって必ずしも祈願のためではなかった。したがって後代には祈願形式の参籠と神事の物忌精進とが混同されて今日にいたっている。
→雑魚寝(ざこね) →物忌
執筆者:薗田 稔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
社寺堂に籠(こも)り、神仏に祈願すること。一昼夜(通夜(つや))、3日、7日、9日、14日、21日、33日、100日、1000日などの参籠期間中、礼拝、読経、称名、護摩焚(ごまた)き、水垢離(みずごり)行、断食をし、諸願の成就を図る。鎌倉初期に成立した『古事談』には、賀茂明神に一晩通夜した勢多尼上(せたのあまうえ)、伊勢内宮(ないくう)に3日間参籠した永頼(ながより)、白山権現(はくさんごんげん)に21日間参籠した日台(にったい)聖人、那智に1000日間籠った安倍晴明(あべのせいめい)の霊験譚(れいげんたん)が記されている。大津市の葛川(かつらがわ)明王院には参籠者が納めた木製の参籠札として中世のものが58点、近世のものが398点もある。その最古は元久1年(1204)6月の銘であり、同行7名の行者が10日間参籠し、そのうちの5日間、滝護摩8000枚を燃やしたとある。足利義満(よしみつ)、義尚(よしひさ)、日野富子(ひのとみこ)の参籠札もある。参籠は民間のお籠り行事に通じる。
[赤田光男]
『元興寺仏教民俗資料研究所編・刊『明王院の碑伝』(1976)』▽『柳田国男著「神道と民俗学」(『柳田国男全集 13』ちくま文庫)』
…静岡県伊東市の音無神社の尻摘(しりつみ)祭として知られる11月10日の例祭は,暗やみのなかで祭典が行われ,神酒の杯を回すときに尻をつねって合図するのでこの名がある。一般におこもりとよばれるれる参籠は,修行僧などが堂宇にこもって神仏に祈願をこめる風習で,9世紀末から10世紀にかけて始まった。祭りの場でのおこもりは共同祈願のための物忌に服する忌籠(いみごもり)の祭りであったのが,後に暗やみに乗じて性的行事を伴ったものである。…
※「参籠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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