日本大百科全書(ニッポニカ) 「岡田藩」の意味・わかりやすい解説
岡田藩
おかだはん
江戸時代、備中(びっちゅう)国(岡山県)下道(しもみち)郡岡田に陣屋を置いた外様(とざま)、小藩。藩祖伊東長実(ながざね)はもと織田(おだ)、豊臣(とよとみ)氏に仕え、慶長(けいちょう)・元和(げんな)の役(大坂の陣)では大坂城に籠城(ろうじょう)したが、かつて、石田三成(みつなり)の陰謀を内報した勲功により赦(ゆる)され、備中国下道郡10か村(高7500石余)、美濃(みの)国(岐阜県)池田郡2か村、摂津国(大阪府)豊島(てしま)郡1か村、河内(かわち)国(大阪府)高安(たかやす)郡2か村で高合計1万3000石余を与えられた。以来10代にわたって在封して明治維新に至る。1717年(享保2)5代藩主長救(ながひら)のとき、備中領新庄(しんじょう)、本庄村の入会(いりあい)地の収公、夫役(ぶやく)の賦課をめぐって、新本(しんぽん)義民騒動が起こった。1871年(明治4)廃藩、岡田・深津・小田県を経て岡山県に編入。
[人見彰彦]